で、江戸に下ったのだが、初めは、江戸の水に合わなかったと見えて、舞台へ出てもちっとも見物受がしないのです。どんなに笑っても、きっと顔の何処《どこ》かに憂の影が、消え残っていると云ったような淋しい顔立が、見物には受けなかったと見えるのです。また、この役者の動作が、何処までも質素なのです。当り前の旧劇の役者が、怒る時は目を剥《む》いたり、泣く時は大声で喚《わ》めいたり、笑う時には小屋を揺がせるような、高声を出す代りに、この役者は泣く時も笑う時も怒る時も質素で、心から泣いたり怒ったり笑うたりする有様が、普通の人が泣いたり笑うたりするのと少しも違わないんですよ。其処《そこ》が、私の胸にピッタリ響いて来たのです。其処がその頃の見物には、少しも受けなかったところだったのですが」
「今じゃ、そう云う演《や》り方を、写実主義と云うのです。そう云う役者を見出《みいだ》したお祖母さんは、さすがにお目が高かったですね」と、私は心から感心して云った。「貴君のように冷かしてくれては、困るが、何しろ、この役者が見物に受けなければ受けないほど、私はこの役者に同情するようになったのです。この役者の芸を見てやるのは、私
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