った娘を連れて、よく物見遊山《ものみゆさん》に出かけるようになったのです。今までは世間からなるべく離れよう離れようとした私が、反対に世間が何となく懐《なつか》しく思われて来たのです。その頃です。私はある男を――この頃の若い人達の言葉で云えば――恋するようになったのです。笑っちゃいけませんよ。お祖母さんは懺悔の積りで話しているのですから。その男と云うのは役者なのです。後家さんの役者狂いと云えば、世間に有りふれた事で、お前さん達も苦々しく思うでしょうが、私のは少し違っていたのです。私が恋したその役者と云うのは、浅草の猿若町の守田座――これは御維新になってから、築地《つきじ》に移って今の新富座《しんとみざ》になったのですが、役者に出ていた染之助と云う役者なのです。若衆形《わかしゅがた》でしたが、人気の立たない家柄もない役者でしたが、何故《なぜ》かこの役者が舞台に出ると、私はもう凡ての事を忘れて、魂を抜かれたような、夢を見ているような、心持になってしまうのです。何でもこの役者は、大谷|友右衛門《ともえもん》と云う上方《かみがた》の千両役者、今で云えば鴈治郎《がんじろう》と云ったような役者の一座
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