りで聞いて下さい。
「私は、綾さん達のお祖父さん(それは彼女の夫の前島宗兵衛です)に懲り懲りしたので、もう一生男は持つまいと決心したのです。そして、その決心をやっと押し通して来たが、ただ一度だけ危くその覚悟を破りかけたことがあるのです。恥を云わねば分らないが……」と祖母は一寸云い憎くそうにしましたが、
「自慢じゃないけれど私は、子供を連れた出戻りであったけれども、お嫁さんの口は後から後から断りきれないほどあったのですよ。三千石取の旗本の若様で、再婚でも苦しくない、子供も邸《やしき》に引取っても、差支《さしつか》えがないと云うような執心な方もあったけれど、私の覚悟はビクとも動かなかったのです。娘が、大きくなるまでは、世間とも余り交際しない積りで、向島へ若隠居をしてしまったのです。その話は幾度もしたけれど――向島へ行って何年目だろう、私が何でも二十四五になった頃だろう。御維新になろうと云う直《す》ぐ前でしたろうか。私は、自分の暮しが、何となく味気ないような淋《さび》しいように思い始めて来たのです。それで、やっぱり家にばかり、引込んでいるから、退屈をするのだろうと思って、その頃五ツか六ツにな
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