一人だと云う気になってね。何でも、この役者を初めて見たのは、鎌倉三代記の三浦之介をしていた時だったが、私の傍《そば》に居る見物は、皆口々に悪口を云っていたのですよ。『上方役者はてんで型を知らねえ。あすこで、時姫の肩へ手をやるって法はねえ』とか『音羽《おとわ》屋(その頃は三代目菊五郎だったが)の三浦之介とはお月様と泥鼈《すっぽん》だ。第一顔の作り方一つ知らねえ』とかそれはそれはひどい悪口ばかり云っていました。が、私は型に適《かな》っているかどうかは、知らなかったが、染之助の三浦之介は、如何《いか》にも傷ついた若い勇士が、可愛い妻と、君への義理との板ばさみになっている、苦しい胸の中を、マザマザと舞台に現しているようで、遠い昔の勇士が私の兄か何かのように懐しく思われたのでした。それ以来、私は毎日のように守田座へ行きたくなったのです。それで浅草へお参りに行くと云っては、何も知らない頑是《がんぜ》のない綾ちゃん達のお母さんを、連れて守田座へ行ったものです。それも一日通しては見ていられないから、八つ刻《どき》から――そう今の二時頃ですが、染之助の出る一幕二幕かを見に行ったのです。終《しまい》には子
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