と同時に、生れた子供を連れて離縁になることになりました。宗兵衛の後嗣と云うのが、非常に物の判《わか》った人と見え、子供の養育料として一万両と云う可なりな金額を頒《わ》けてくれたそうです。祖母は、その金を貰って子供を連れて、一旦里に帰って来ましたが、子供を預けて再縁をせよと云う親の勧めや又外から降るように来る縁談を斥《しりぞ》けて、娘を連れたまま、向島《むこうじま》へ別居することになりました。そして、心置きのない夫婦者の召使いを相手にして、それ以来、ズーッと独身で暮して来ました。恐らく最初の結婚で、男と云うものの醜くさを散々|味《あじわ》わされた為、それが又純真な傷《きずつ》き易《やす》い娘時代で一段と堪《こた》えたと見え、癒《いや》しがたい男|嫌《ぎら》いになってしまったのでしょう。祖母は向島の小さい穏かな住居で、維新の革命も彰義隊の戦争も、凡《すべ》て対岸の火事として安穏《あんのん》に過して来ました。そして明治十二三年頃に、その一人娘をその頃羽振の好かった太政官の役人の一人である、私の妻の父に嫁《とつ》がせたのです。祖母の結婚が不幸であったのと反対に、その娘の結婚は可なり祝福されたも
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