のでした。出方は、私の顔を見て呆気《あっけ》に取られていたようですが、そのままスゴスゴと行ってしまいました。
 それからも、私は狂言の変り目毎に、三四度は欠かさずに、見物していました。見物する毎に、染之助が、私を見詰める瞳《ひとみ》が益々《ますます》熱して来るのに気が付きました。余り染之助が私を見るので、私の傍に坐っている女客達が私に可なり烈しい嫉妬《しっと》を、見せる程になりました。が、私と染之助とは、一度も逢ったことはないのです。染之助の方でも、私が彼の言伝をきっぱりと断ってから、私の心が測りかねたものと見えて、もう少しも手出しをすることはありませんでした。が、私は染之助こそ、嫌《きら》っていたが、染之助の扮した芝居の中の若い美しい人達が私を見詰める時には、恋人に見詰められたような嬉しさを感じて、じっと見詰めかえしていたのでした。
 丁度私が、二十六の年の十月でした。染之助の居る一座は、十月興行をお名残《なご》りに上方へ帰って、十一月の顔見世《かおみせ》狂言からは、八代目団十郎の一座が懸《かか》ると噂が立ちました。私は、二年近くも、馴染《なじみ》を重ねた染之助の舞台に、別れねばなら
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