座の木戸を潜ったのでしたよ。平土間のいつもの場所に坐っていると信乃になった染之助が、直ぐ私を見付けてしまいました。それは、長い間母に別れていた幼児が、久し振りに恋しい母を見付けたような、物狂わしいような、それかと云って、直ぐにも涙が、ほとびそうな不思議な眼付でありました。私は半月も来なかったことが、染之助に対して、何となく済まないように思った位でした。染之助の信乃は、相手の犬飼現八《いぬかいげんぱち》と、烈しい立ち廻りをしながら、隙《すき》のあるごとに私の方へ、燃ゆるような流瞥《ながしめ》を送っているのですよ。実際の染之助から、こんなに度々《たびたび》、見詰められては、一分も座に居られなかったに違いない私も染之助が信乃になっているばっかりに、何だか信乃の恋人の浜路《はまじ》にでもなったように、信乃から見詰められる事が胸がわくわくする程嬉しかったのですよ。私も、信乃から見詰められる度に、じっと見返したり、時にはニッコリと笑って見せたり、恋人から見詰められたと同じように、うっとりとなっていたのです。
やがて、幕が下ってから、手水《ちょうず》を使いに廊下へ出ると、気の付かない間に、私を追い
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