人の出方《でかた》が、それはそれは見事なお菓子、今のような餅《もち》菓子ではなく、手の入った干菓子の折に入ったのを持って来て、
『これは、染之助親方からのお届物です』と云うのです。私はそれを聞いた時、舞台の上の美しい斎世宮[#「斎世宮」に傍点]――その時は、菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゅてならいかがみ》が芸題で、染之助は斎世宮《ときよのみや》になっていたのです――のまぼろしが消えてしまってその代りにあの馬道で逢った蒼黒い、頬のすぼんだ小男の面影が、アリアリと頭の中に浮んだのです。その瞬間、私は居たたまらないような不快を感じて、幕が閉ると、逃げるように小屋を出ました。無論、その干菓子などには、見向きもしませんでしたよ。
そんな事があってから、半月ばかりの間は守田座の木戸を潜《くぐ》らなかったよ、又その中に何となく染之助の舞台姿が恋しくなって来るのですよ。何でもその年の盆興業でした。馬琴《ばきん》の八犬伝を守田座の座附作者が脚色したのが大変な評判で、染之助の犬塚信乃《いぬづかしの》の芳流閣の立ち廻りが、大変よいと云う人の噂でありましたので、私はまた堪らないような懐しさに責められて、守田
前へ
次へ
全33ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング