き、染之助の出る幕が済んでしまうと、サッサと帰って来るのですから、到頭芝居の中でも、評判になってしまったのです。あの女客は、成駒《なりこま》屋(それは染之助の屋号です)に気があるのだと、評判しているらしいのです。そう云う噂が立つに従って、舞台の上の染之助がじっと私の方を見詰め始めたのです。私は舞台の染之助から見詰められる事は、三浦之介なり、勝頼なり、勘平なり、義経なり、昔の美しい人達から、見詰められるような気がして、少しも悪い気持はしないのです。その中《うち》に段々染之助の見詰め方が烈《はげ》しくなるのです。ただ、あの女は『俺のひいき客だから、見てやれ』と云う位ではなさそうなのです。日が経《た》つにつれて、染之助の私を見詰めている眼付が、火のように燃えて来るのです。私は意外に思わずにはいられませんでした。そうして、私と染之助とは、舞台の上と下とで、始終じっと見詰め合いました。両方で見詰め合いました。私の見詰めているのは、染之助ではなくて、三浦之介とか重次郎などと云う昔のまぼろしの人間だったのですが、染之助はそうは思わなかったらしいのです。
 ある日の事、私が何気なく見物していますと、一
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