男の後をついて行ったのですよ。すると、その男は観音様の境内《けいだい》へ入って、今仲見世のある辺にあった、水茶屋へ入るじゃないか。私も何気ない風をして、その男の前に、三尺ばかり間を隔《お》いて腰をかけたのです。男は八丈の棒縞《ぼうじま》の着物に、結城紬《ゆうきつむぎ》の羽織を着ていたが、役者らしい伊達《だて》なところは少しもないのですよ。私はきっと、人違いだと思いながら、何気なく見ていると、物の云い方から身の扱《こな》し方まで、舞台の上の染之助とは、似ても似つかぬほど、卑しくて下品で、見ていられないのですよ。こんな男が、染之助であっては堪《たま》らないと思っていると、丁度其処へ三尺帯をしめた遊人らしい男が、二人連で入って来て、染之助を見ると、
『やあ! 染之助さん、芝居の方はもう閉場《はね》ましたかい』と、云うじゃないか。私は身も世もないように失望してしまいました。染之助の美しさは、舞台の上だけのまぼろし[#「まぼろし」に傍点]で、本当の人間はこんなに醜いのかと思うと、私は身を切るように落胆したものですよ。すると、その遊び人のような男が、
『どうです、親方。花川戸《はなかわど》の辰親分
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