っこ》をして、千葉監獄を、まんまと放免されたように、今度はとても免れないと見積って、信仰|遊戯《ごっこ》をして、周囲からやんやと喝采を受けながら、死んだのではないかと思うのです。坂下鶴吉の善行なるものが、何如なるものであったかは、直ぐ正体を現したのですが、今度は彼と一緒に天国もしくは地獄へ同伴するものがないだけに、彼のヤマは以前よりももっと成功したと思います。彼の信仰を、ゴマカシと見、絞首台上で欣々然たる容子をしながらその実は差し迫る死の前に戦慄しただろうと想像することが、私のセメてもの慰めです。
が、仏教にも悪人成仏と云う言葉があるように、彼坂下鶴吉が、背負い切れぬ罪悪を背負って居たことは、却って真の信仰を得る機縁であるかも知れぬと思います。従って、私は坂下鶴吉の信仰を、心から全然軽蔑することは出来ないのです。彼は、彼の告白する通り、本当の基督教徒となり、基督教徒の信ずるが如く神の手に迎えられて、天国へ行ったかも知れないとも思うのです。彼坂下鶴吉の信仰が本当のものだとすれば、彼自身『人の世の罪の汚れを浄めつつ神のみ国へ急ぐ楽しさ』と、辞世に述べてある如く、天国へ行ける積りであったと
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