。愛も仁もない劣等な人間だと云われても平気です。私は姉の無念が、又自分の無念が正当に晴されることを、良民の一人として国家に要求する権利があると思うのです。もし坂下鶴吉が、国家の手に依って、あんな安易な気楽な死を遂げるのであったならば、私はほかにもっと決心があったと思います。私は彼を公判延で瞥見《べっけん》した時に、彼を倒さないまでも、セメて恨みの一撃を与えなかったことを今更痛切に後悔します。
 私が、此の告白を読んだ時に、最初は『坂下鶴吉の奴め、芝居をやるのだな』と、思いました。もうどうせ、死刑は免れないのだから、全く改心して基督教徒になったような顔をして、典獄はじめ周囲の同情を得て、華々しく死刑になったのではないかと思いました。
 此の告白に依ると、此の坂下鶴吉は、一度千葉の監獄で、善行の結果残りの刑期を免除されて放免になったと書いてあります。而も、善行の結果、刑期を短縮された坂下鶴吉は、放免になってから九人の人間を殺して居るのです。千葉監獄の典獄が、此の男の善行を認めなかったならば、私の姉などは少くとも、まだ世の中に生きて居られた筈です。善行に依って、残りの刑期を免除された男が、出
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