丁度九人の人間の命を奪って居ます。が、彼が奪って居るものは単に九人の被害者の生命だけではありません。私の姉が殺されたに付いて、私の母の怖ろしい精神上の打撃を受けた如く、他の八人の被害者の父なり母なり兄弟なり姉妹なりが同じように怖ろしい打撃を受けて居るに相違ありません。九人の被害者の為には、四十人五十人の肉親の者が親なり子なり兄弟なり姉妹なりを殺された無念の涙に咽《むせ》んで居る筈です。生命を奪われると云うことも人生の悲惨事には相違ありません。が、肉親の父なり母なり子なり兄弟姉妹なりを、なんの罪なくして絞殺され斬殺されるのを見、それから受けた怖ろしい激動を、生涯持ち続けて行くと云うことも、同様に人生の悲惨事であります。殺人の場合、被害者は単に殺された当人だけではありません。その被害者の親なり手なり兄弟なり姉妹なりは命こそ奪われないが、精神的には恐ろしい打撃を受けるのです。坂下鶴吾が殺したのは、僅か九人かも知れません。が、彼の兇悪な所業の為に苦しんで居るのは、私達親子の者ばかりではありますまい。そうした点から、考えて行くと、死刑などと云うことは軽すぎる位、軽いと思います。九つの命と一つの命
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