の悲業の死を聞いてから、三日の間は一食も咽喉を通らない程でありました。その時は丁度六十一でありましたが、元来瘠せて居た身体は、僅か二、三日の中に、ゲッソリと衰え、ただ二つの大きな眼だけが狂人のそれのように血走って、絶えず不安な動き方をいたして居りました。夜も娘の死を思うて、易々とは寝付かれないと見えまして、ウトウトしたかと思うと、『おとしおとし』と、叫んで、狂気のように跳ね起きて布団の上に端座して、何やらブツブツと申すかと思うと、又さめざめと泣き伏すのでありました。
姉が病気で死にましたならば、いくら気の弱い母でも、之ほどの悲嘆には暮れなかったのでありましょうが、夫婦|諸共《もろとも》兇悪な強盗の為に惨殺されたと云う恐ろしい激動は、母には堪えられなかったのでありましょう。その事件があって以来、ボンヤリとしてしまって日に衰えて行ったようであります。
姉の頸に纏い付いて居た細紐を見、義兄の後手に縛られた両手を見た時に、私は犯人の肝を喰わねば満足しないような烈しい憎悪を感ぜずには居られませんでした。私は、犯人が捕まったら最先に馳け付けて行って、思う存分踏みにじって姉と義兄との無念を晴してやりたいと思いました。私は、昔の人間が肉親を殺された場合、敵《かたき》打にいでて幾年もの艱苦《かんく》を忍ぶ心持が充分に解ったように思いました。私は、今でも復讐が許されるならば、土に喰い付いても犯人を探し出して、姉の無念を晴したいと思わずには居られませんでした。もし、姉夫婦の殺された原因が、遺恨だとか痴情などでありましたら、それは姉夫婦にも何等かの点に於て、少しは責任があることですから、私の無念は之れ程でもなかったのでしょうが、殺された原因が、全く強盗の為であって、その兇漢は罪も怨もない姉夫婦の命をなんの必要もないのに、不当に非道に、蹂《ふ》み躪《にじ》ったものであることを知ってからは、私達の無念は二倍にも三倍にも深められぬ訳には行きませんでした。殊にその夜張った非常線が、何の効果もなく三日経っても五日経っても犯人の手懸りが、少しも無いのを知ると、私は警察の活動が、愈々《いよいよ》まだるっこいように思われて、じっとして居られないようないらいらした心持に、ならずには居られませんでした。
父は遉に心のうちの悲憤を口には出しませんでしたが、母はよく口癖のように、
「おとしの敵はまだ捕まらん
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