のか」と、申して居りました。が、私達の一家が、一日も早く犯人の捕われることを祈って居りましたにも拘《かか》わらず、一月と経ち二月と経つ間、警察からはなんの音沙汰もありませんでした。その中に、警察の方でも、新しい事件が起れば、その方へも力を割くと云う訳で、時日の経つと云うことは犯人逮捕の可能性を段々、少くして居るようでありました。私は、待ち遠いような心に駆られて、時々知り合の警部の家を尋ねました。警部は私の顔を見ると、ちょっと気の毒そうな顔をしながら、
「もう少し待って下さい。之が遺恨などの殺人でなく強盗だけに、ちょっと挙りにくいのですが、なあに、その中に貴君方の御無念を晴して上げますから。今年中には、きっとです。東京の警視庁へも、よく頼んでありますから」と、申しました。それは姉が殺されてから、三、四月を経たその年の十月頃でした。私は今年中には必ず逮捕してやると云う警部の証言を、セメての慰とし、母に伝えて居たのであります。
 ところが、その年も押しつまった十二月の半ばでした。姉の遭難以来、生きた屍骸のようになって居ました母は、腎臓炎を起して僅か四日か五日かの病で倒れてしまいました。姉が、生きて居ましたら、まだ三年や四年は生き延びただろうと思いますに付けても、私は姉夫婦を殺した強盗は同時に私の母の生命をも縮めて居ったのだと、思われずには居られませんでした。私は、名も知らぬ顔も知らぬその獣の如き人間に対して、更に倍加した憎悪と恨みとを持たずには居られませんでした。
 母は、死際にまで姉の事を、クドクドと申して居りました。
「まあ可哀相な事じゃ。夫婦揃うて殺されるなんて、あの子はよっぽど不幸せな子じゃ」と申して泣くかと思いますと、
「えい憎い畜生め! ようもおとしを殺したな」と、申して怒り罵りました。そして、口癖のように、
「まだ捕まらんのかな。人を殺した人間が、大手を振って歩いて居るとは神さまも仏さまもないのかな」と恨んで居ましたが、又諦めたように、
「まあ! えいわ。あんな極悪な人間は、この世では捕まらんでも、死んだら地獄へ落ちるのじゃ。地獄で、ひどい目に逢うのじゃ」と、申して居りました。こうして、母は娘を殺された恨みと悲しみとに悶えながら、十二月の二十日でしたか、最愛の娘の後を追うて死んでしまいました。犯行の表面では姉夫婦だけが殺されたことになって居ますが、私は母もそ
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