ある抗議書
菊池寛
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)角野一郎《すみのいちろう》夫妻
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)その頃|痼疾《こしつ》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)むごい[#「むごい」に傍点]
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司法大臣閣下。
少しの御面識もない無名の私から、突然かかる書状を、差上げる無礼をお許し下さい。私は大正三年五月二十一日千葉県千葉町の郊外で、兇悪無残な強盗の為に惨殺されました角野一郎《すみのいちろう》夫妻の肉親のものでございます。即ち一郎妻とし子の実弟であります。私の姉夫婦の悲惨な最期は、当時東京の各新聞にも精《くわ》しく報道されましたから、『千葉町の夫婦殺し』なる事件は、閣下の御記憶の中にも残って居ることと存じます。私は肉親の姉が受けた悲惨な運命を、回想する度ごとに、今でも心身を襲う戦慄を抑えることは出来ません。人間の女性の中で姉ほどむごい[#「むごい」に傍点]死方、否殺され方をした者はないと思いますと、私は今でも胸の中が掻き廻わされるように思います。私は、当時の色々な記憶を頭の中に浮べることさえ、不快に思われます。が、私は此の書状を以て、申上ぐる事の前提として、当時の事をちょっと申上げて置かなければなりません。
私の義兄の角野一郎は、大正三年の三月迄東京で雑誌記者を致して居りました。が、その頃|痼疾《こしつ》の肺がだんだん悪くなりかけましたので、転地療養の為、妻の実家即ち私の家の所在地なる千葉町へ参ったのであります。そして、私の父母と相談の上で、海に近い郊外に六畳に四畳半に二畳の小さい家を借りまして、そこで病を養うことになったのであります。私の父母は、今迄東京に住んで居た為に、月に一、二度しか逢う機会のなかった姉が、つい手近に移って来た為に、毎日のように顔を合わせることが出来るのを非常に欣《よろこ》んで居たようでありました。幸い義兄の病気も、夏に向うに連れて段々快方に向うようで、一夏養生を続けたならば健康を恢復するだろうと姉夫婦も私も私達の父母も、愁眉を開いて居たのでありました。が、こうした小康を欣んで居た時、あの怖ろしい運命が姉夫婦を襲いかけて居たのであります。
忘れも致しません。それは大正三年の五月二十一日の夜と申しても、正確に云えば、翌二十二日午前の四時頃であ
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