総子 困っちまうなあ私。どうしていいんだかわからないわ。猪瀬さん、精三さんと将棋を始めてしまったのよ。兄さんは自分の部屋へ入ってしまって本を読んでるし、私何処にいて何をしていいんだかわからないじゃないの。
ふみ まあ。お見合に来て将棋をさしているなんてどういうの。
総子 だって、将棋をしましょうなんていい出したのは精三さんなのよ。
ふみ 呆れた。あの人は、そういう人なのよ。時と所っていう考えがまるでないんですからね。第一お見合の席なんてものは挨拶さえすめば当人同志放っといて、みんな引込んじまえばいいものよ。姉さんが傍にいてくれなんていうものだから、いい気になって腰をすえてるんじゃないの。半分は姉さんがいけないのよ。
総子 だって……二人っきりにされちゃ私困るじゃないの。何を話していいんだかわからないし。
ふみ 話なんか、あなたが考えなくても先様《さきさま》でよろしくやって下さいますよ。初めてお見合いするんじゃあるまいし。
総子 よくってよ。度々《たびたび》のお見合いで御迷惑ならどうぞお帰りになって頂戴。
ふみ あら。私はなにもそんなつもりで言ったんじゃないわ。そうむきにならなくったっていいじゃありませんか。
総子 むきになるわよ。もっということに気をつけてもらいたいわ。
ふみ はいはい。では以後を気をつけることにして……。一体どうなの、お姉さん自身の気持は。
総子 なんだか私にはわからないわ。あの人でもいいような気もするし、もう少し何とかしたのがありそうな気もするわ。結局結婚の相手というものはどうしてもこれでなくちゃというようにして、決るんじゃないってことがだんだんわかってくるような気がするわ。
ふみ 左様でございますか。あああ。いつまでもお若くてお羨《うら》やましいことだ。
知栄 総子おばさん。今日は随分綺れいね。
ふみ ほらほら。子供は正直よ。知栄ちゃんに迄ちゃんとそう見えるんだから。何か奢《おご》って戴かなくちゃ合わないわ。
総子 よして頂戴。私にとっちゃ笑いごとじゃなくってよ。もうもうお見合なんか沢山。その度にどきどきしたり、はらはらしたりするだけでも命が縮まる思いがするんですもの。もういい加減に見合ずれがしてもいいと思うんだけど、やっぱり駄目。自分で自分に腹が立ってくるわ。この間|何《なん》の気なしに写真屋の前通ったら飾り窓に自分のお振袖の大きいのが出てるのよ。眼をつぶって走って通ったわ。すれ違ってゆく人がみんなにやにやして、私の顔をみるような気がするの……。(眼を拭く)
ふみ 姉さん……姉さんどうしたのよ急に……。
総子 いいのよ。ほっといて……。
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伸太郎。
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伸太郎 おや、お客さまはもうお帰りになったのかい。
ふみ いいえ。精三と将棋をお始めになったんですってさ。ほんとうにうちの旦那様にも困ってしまうわ。
伸太郎 けいはまだかい。
ふみ まだなのよ。何してらっしゃるんでしょうね。
伸太郎 仕様がないなあ。すべて自分で段取りをしておいて。
ふみ 全体どこへいらっしゃったのよ。
伸太郎 うん、工業クラブで対支貿易の懇談会があるんだがね。
ふみ あら、そんなものに迄姉さんが出てらっしゃるの。
伸太郎 (苦笑)俺が出るより確かかもしれんからね……。しかし、二人だけ放っておくわけにもゆかないだろうね。
ふみ 精三とお見合いにいらっしたわけじゃないんですからねえ。
伸太郎 お前、とも角部屋へ戻っていたらどうだ。
総子 私なんか、傍にいたっていなくったって同じだわ。二人とももう夢中なんですもの。今度は飛車ですか。はあ角道《かくみち》とおいでなさいましたね、なんて。
伸太郎 俺には又、将棋って奴はちんぷんかんぷんなんでね。
ふみ お見合の収《おさま》りなんてものはどうつけるものかしら。こうなると私もお兄さんもお見合いなんてものしなかっただけに不便ね。
伸太郎 何をつまらんことをいってるんだ。だから俺は初めっからちゃんとした仲人《なこうど》を立ててというのに年をとっているからとか、何度もやった揚句《あげく》だから今度は決ってからにしようとか……。
ふみ 今更そんなこといったって仕方がないじゃありませんか。
伸太郎 今更っていうがお前だってそれに賛成したんだぞ。
精三の声 おーい。ふみ子! どうしたんだ! 総子さん! 猪瀬さんのお帰りだよ!
ふみ あら、お帰りだって。(総子に)さあ、行きましょう。兄さん、あなたもいらしって……。
伸太郎 うん、何だか俺は……。(といいながらついて行く)
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庭から、章介、けい。
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章介 ふっふ。流石《さすが》のお歴々もお前の口にかかっちゃひとたまりもないね。驚いている顔がみえるようだ。
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けいと章介が庭から入って来る。
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けい だってそうじゃありませんか。どうせ乗りかかった船なんですから今更ちっとやそっとの物要《ものい》りを気にしてどうするんです。そんなことばっかりいってるから元も子もなくしてしまうんです。アメリカをごらんなさい。イギリスをごらんなさい。商売上何の値打もない、北京に御殿みたいな銀行をたてて、その支配人が外交官以上の勢力を張って支那の大官たちとゆききしているんですよ。
知栄 お母さまおかえりなさい。
けい ああ只今、私はね支那問題は結局お金だと思うんです。
章介 しかし、そういう支那人自身のその日ぐらしの精神をめざめさせることがまず第一なのだ。今のままで放っておけば、支那はやがて第二のバルカンだ。今ヨーロッパでやってるような戦争をアジヤでも又引起すことになるのだ。
けい それだからいうのですよ。国民党を援《たす》けると決めたなら決めたで、そっちへどんどんお金を注ぎこむ。支那人が日本人と仲よくしてからほんとに暮らしが楽になったと思うようにするのです。それ以外に手はありませんよ。
章介 そう簡単に言うがね、袁世凱《えんせいがい》という人間は、とにかくこの間の第二革命で清朝に替る大勢力となってしまったが、国内では彼の政策を必ずしも歓迎していない。そこへ来ると孫文《そんぶん》は、一時日本に来ていたこともあるし、支持者も随分いるようだが、孫文の三民主義という思想の中には共産主義に一脈通じるものがすくなからず入っているのだ。袁世凱と結ぶか、孫文の思想を支持するか、これは仲々複雑微妙な問題なのだ。
けい いいえ、だから、思想は思想ですよ。思想ってものは政治家が机の上で考え出すものです。権兵衛や太郎兵衛は思想を食べて生きてるんじゃありませんよ。(笑う)
知栄 お母さま、お土産《みやげ》は?
けい あ、しまった、お母さま御用で手間取れたものだからお土産すっかり忘れてしまった。御免なさい。
知栄 ううん。(からだをふりすねる)
けい ああ、苦しい。(帯をゆるめて)私はね、日本のえらい政治家や軍部の連中が、もっと下の権兵衛や太郎兵衛……いいえむこうのですよ。むこうの権兵衛や太郎兵衛ともっとぴったり結びついてなくちゃだめだと思うんです。そうすりゃ対支政策が変ったからどうの、支那の政府が変ったからって、一々騒ぎたてなくてもいいじゃありませんか。
章介 どうも、何時の間にかお前はすっかり支那問題の大家になっちまった。
けい いやですよ、そんなに人をからかっちゃ。
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精三、ふみ、後から総子。
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精三 (すっかり自信たっぷりの社会人になっている)いや、あれは仲々大した人物だ。流石におけいさんは目が高いよ、やあ、お帰んなさい。
けい あ、只今。
精三 今も、此奴にいっとるんですがね、猪瀬氏ですよ。立派なもんです。よくあれだけの人物を選んで来られたと。あんたの慧眼《けいがん》に感服してるんです。あの人物についてなら私が太鼓判を押しますよ。
けい そうですか。そりゃよろしゅうございました。あなたにも、いろいろ御苦労さまでしたね。
ふみ 太鼓判だかどうだかしらないけど、お見合いに来て介添人《かいぞえにん》と将棋を始めるなんて随分|呑気《のんき》な人もあるものね。
精三 いや、それだから出来てるというんだ。仲々気取った青二才になんか出来る芸当じゃないよ。
章介 ひどく又|肝胆《かんたん》相照《あいてら》したものだな。
精三 いや、相照したというより教えられたのですよ。叔父さん、あなたがお逢いになってもきっとお気に入るに違いないと思いますね。男はやっぱり、男の惚《ほ》れるような男でなくてはいけません。
ふみ でも、何だか少し殺風景ね。姉さんを前にしていきなり自分の子供の手くせの悪い話なんか出すなんて、思いやりがなさすぎるわ。
精三 そういう解釈をするのが、そもそもの間違いのもとだ。飾らず偽らず、ありのままを話して相手にあらかじめの覚悟と理解を促す。こりゃそうそう誰にだって出来ることじゃない。総子さんだっていい話ばっかりきかされて、いきなり悪い事実をつきつけられるよりどれだけ気持がいいかわかりゃしない。
ふみ それは、本当にそうかもしれませんわ。でも女の気持って、そういうものじゃないと思うわ。多少はかざりやいろどりはあってもそこが人間同志のあれなんだもの。
精三 何をいってるんだ。ほんとに男のいい所がお前なんぞにわかってたまるものか。
ふみ えええ。どうせそうでしょうよ。男のいい所がわかるくらいならあんたなんかと一緒にならなかったでしょうからね。
精三 なに!
章介 おいおい。そういう話は二人だけの時に願おうじゃないか。
精三 いや。あっははは、こりゃ、一本参りました。はっははは。
伸太郎 (むっつり)いやに遅いじゃないか。今迄クラブにいたのかね。
けい すみません。……みんな血眼《ちまなこ》になってるもんだから話がすっかりのびちまって。
伸太郎 遅くなるならなるでそういって貰わなくちゃ。家でも帰るか帰るかと思って待ってるんだ。
けい だって……家の方の段取りはちゃんとついてるんだし、精三さんだって頼んであるんですもの。
伸太郎 精三君だって勤めのある人だ。そうそう此方《こっち》の勝手な時に呼び出されては、困るだろう。知栄だってお前がいないもんだから何時迄《いつまで》もねやしないし。
けい あら、子供は何時だって咲やと一緒にねるんだから、そいって下さればいいのに。知栄ちゃん咲やにそういってお床とって貰いなさい。
知栄 私、お母さまと一緒にねるの。
けい (つい焦々《いらいら》して)子供が何時までも起きてるものじゃありません……お母さまはまだ御用があるんだから先におやすみなさい。
知栄 ……。
章介 さあ、今日は叔父さんとねよう。な、お母さん達は今日はお話が残ってるんだからな。さ、行こう。(と、行きかけて)あ、伸さん。例の斎藤長兵衛な。今日とんでもない所で表札をみたんだ。鎌倉の小町なんだがね。あんな所にいたんだね。探してもわからない道理さ。(入ってゆく)
精三 斎藤長兵衛というと、例の夜逃げの口なんですか。
けい ええ、そんな所にいるんじゃ、東京中探したってわからない道理ですよ。
精三 しかしよくまた、見つかったものですね、偶然なのかな。
けい そうなんですって。御自分の用事で鎌倉までいらしって、夕立にあったものだから雨やどりをしようと思って何の気なしに表札をみたらそうだったというんでしょ。悪いことは出来ないもんですね。
精三 天網恢々《てんもうかいかい》ですかな。そういうのは一つ見せしめのために大いに絞《しぼ》ってやるんですよ。
けい ええ。だから、明日にでも私、行って来ようと思っているんですがね。
精三 そりゃそうなさい。ぐずぐずしていると又逃げら
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