須貝 奥さん。あんまり年上を振回すと、びっくりするようなことになりますよ。(にやにや笑う)
諏訪 おどかさないでさ、ちゃんとなさい、ちゃんと。
須貝 厭ですよ、僕は。
諏訪 どうしてもですって。
須貝 はい、奥さん。
諏訪 よろしい。それじゃあ、妾、どうしてもあなたを結婚させます。憶えてらっしゃいよ。(笑いながら、階段を上って行く)
須貝 奥さん!
諏訪 何? 考が変りまして?
須貝 (諏訪の間近く迄上って行って)結婚しない理由を言いましょうか。
諏訪 ああ、もうもう、そんなもの聴かない。(行こうとする)
須貝 (袖を押えて)まあ、お聴きなさい。僕が結婚したくない理由は……あなたですよ。
諏訪 (まじまじと須貝の顔を見て)呆《あき》れた……何て言う人でしょう、この人は、……(階段の中ほどで坐って了う)
[#下げて地より2字あきで]―早い幕―

       二

[#ここから3字下げ]
情景は前景に同じ。
諏訪、須貝。
[#ここで字下げ終わり]
諏訪 あなたは知らないからそんなこと言ってるのよ。奥さんも一寸いいものよ。それに妾まだ、誰と結婚なさいとも言ってやしないじゃないの。そんなに慌てて逃げを打つことはないと思うわ。
須貝 誰だって相手に依るんじゃないんですから聴かなくったっていいです。
諏訪 (笑って)そんな少年みたいに羞しがることってありますか、ええ?
須貝 奥さん、あんまり年上を振り回すと、びっくりするようなことになりますよ。(にやにや笑う)
諏訪 おどかさないでさ、ちゃんとなさい、ちゃんと。
須貝 厭ですよ、僕は。
諏訪 どうしても、ですって。
須貝 はい、奥さん。
諏訪 よろしい。それじゃァ、妾、どうしてもあなたを結婚さしてみせます。憶えてらっしゃいよ。(笑いながら階段を上って行く)
須貝 奥さん!
諏訪 何? 考が変りまして?
須貝 (諏訪の間近く迄上って行って)結婚しない理由を言いましょうか。
諏訪 ああ、もうもう、そんなもの聴かない。(行こうとする)
須貝 (袖を押えて)まあ、お聴きなさい。僕が結婚したくない理由は……あなたですよ。
諏訪 (まじまじと須貝の顔を見て)呆れた……何て言う人でしょう、この人は……(階段の中ほどで坐って了う)
須貝 びっくりなすったでしょう。
諏訪 驚いたわ。
須貝 だから、言わないことじゃない。
諏訪 聞こえて? こんなにどきどき、言ってるわ。(胸を抑える)
須貝 どら。(頭を近づける)
諏訪 (頭を突いて)彼方《あっち》へいらっしゃい、彼方へ。
須貝 危い。落っこちたらどうします。落ちて、頭がハチ割れたら。
諏訪 ハチ割れるもんですか、そんな頭が。
須貝 いや、いいです。構いません。どうせ役に立たない頭ですから。(諏訪に並んで坐る)
諏訪 あんまり近くへ寄らないで下さいよ。気味が悪い。
須貝 以前ならそうは被仰らなかった。
諏訪 妾は、謀叛人《むほんにん》には容赦しない方ですよ。これからもずうっと厳しくします。
須貝 ですが直接事を起させたのはあなた御自身なんですよ。
諏訪 藪をつついて蛇を出したと言うわけね。そう言うことと知ったら、早く追い出せばよかったんだわ。自惚《うぬぼ》れないで下さいよ。あなたなんか、なんです。あなたなんか……。
須貝 僕? 僕は……。
諏訪 そうよ。須貝の鼻ったらし小僧。妾はね、あなたを一番怒らせる言葉を探しているのよ。
須貝 何と言われたって、怒りゃァしませんよ。御安心下さい。
諏訪 ああ、苛《い》ら苛《い》らしてくるわ。
須貝 心を静めて下さい。僕は、あなたを怒らせる計画なんかしてやしません。
諏訪 いいわ。妾も、怒らないことにします。
須貝 有難う御座います。
諏訪 妾が怒っちゃァ、御自分が勝ったとお思いになるでしょう、あなたは。
須貝 理由は、如何にもせよ、兎に角御立腹下さらないのは感謝します。
諏訪 感謝なんかしないで下さい。妾は、あなたの被仰ることなんか取上げませんの。妾もあなたとは親子ほど年が違うんだから……。
須貝 そうでもありません。姉弟ほどでしょう。
諏訪 (早口にたて続けに云う)妾が、あなたに今迄よくしてあげたのも、今あなたが、そんな後先《あとさき》見《み》ずな莫迦なことを被仰った後で、平気でいるのも、つまり妾があなたを相手にしてない証拠だと思って下さいよ。よござんすか。
須貝 はあ。
諏訪 妾は、今の暮らしにちっとも不平なんかありませんの。充分満足していますの。主人は妾を自由に放っといて呉れます。難を言うと少し放っとき過ぎるくらいのものだけど、でもそれは、大した瑕《きず》じゃァないでしょう。世話をやき過ぎるのよりは、やかな過ぎる方が、どっちかと言えば我慢し易いのよ。
須貝 そう言うことになりますね。
諏訪 それに、暮らし向きも、これで、そう悪い方とは言えないわ。妾は贅沢の方じゃないから、このくらいで結構我慢出来ないことはないわ。この家も、土地も、妾達自分のものになったし、主人はもう、そんなに働かなくったって撮影所の方でやって行けるし、妾は妾で、自分の好きな踊を勝手にやってゆけるし。
須貝 まったく贅沢は言えませんね。
諏訪 それに三人の子供だって……一人の息子と二人の女の子が、みんないい子だし……贅沢は言えないわ。昌允は少し陰気だけど、あれで頭ははっきりしていて、それに実務家だから妾は楽しみにしていますの。妾達の中にだって、一人くらいは実務家がいなくちゃァいけないわ。あの子は今にきっと何かやり出してよ。今は会計課員だけど。それに、未納、妾はまた未納が大すきなの、いい子だわ。あの子をいけない子だなんて誰だって思えやしないわ。陽気で元気で甘ったれで。(思い出して)ああ、今日妾あの子の髪を剪《つ》んでやらなくちゃァ、あの子は唄も巧いし……。踊は下手だけど。
須貝 ――。(呆れた顔)
諏訪 美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]だって、やっぱりいい子だわ。おとなしいけれど陰気って言うほどじゃないわ。器量だって、妾よりはずっといいし、第一姿に品ってものがあるわ。しっとりしていて物事の締《し》め括《くく》りをちゃんと知っている聡《さと》い子供だわ。妾は始終家を留守にしているけれど、あの子がいて呉れるから万事安心と言うものだわ。それに……(行詰る)
[#ここから3字下げ]
間。
[#ここで字下げ終わり]
須貝 それに、どうしたんです。それだけですか、被仰ることは。
諏訪 彼方へいらっしゃいったら。どうして妾独りがそんなにお喋《しゃべ》りしなきゃいけないの。
須貝 無理に、とは言ってやしません。もともと僕からお願いしたわけの話じゃないんだから。
諏訪 あなたは恥知らずですよ。妾は、三人の子供の母親ですよ。
須貝 しかし、実際は……あなたは……。
諏訪 お黙んなさい。あなたは何にも言うことはありませんのよ。
須貝 奥さん。あなたはものの五分間も御自分独りでたて続けにお喋りをなすった、いいですか。僕は黙って拝聴しましたよ。この上黙っていなければならないんですか。あなたにはもう、言うことなんか、何にも無いじゃありませんか。
諏訪 えーえ、そうですとも。あなたは黙っていなければいけません。あなたに、少しでも良心のお有りの間はね。でなければ、一体妾に、どうしろと被仰るんですの。
須貝 どうしろですって……。僕は、そんなことは言ってやしません。(困って)第一、どうしろ、こうしろと言う話と話が違うじゃありませんか。僕は、大体始めっから何にも言わないつもりだったのです。それだのに……。
諏訪 言わないつもりだった。だけどあなたは言って了ったのよ。あなたは言って了ったんだわ。妾がもっと若かったら、それとも、もっと莫迦な女だったら、大変なことになったかもしれないのよ。それこそ……。
須貝 奥さん!
諏訪 いいえ、須貝さん!
須貝 奥さん、あなたが軽蔑なさるのは、あなたの勝手です。しかしその、年上を振り回すのだけは勘弁して戴きたいものですね。
諏訪 どうして。でも、妾はあなたなんかより年上です。考えだってずっと深いのです。
須貝 知っています。しかし、あなたが年上だろうと何だろうと、僕は別に怖がってなんかいないのです。なんです、そんなことくらい。
諏訪 (自信がなくなって来て)あなたのやりかたは利巧だとは言えないわ。妾……怒ってよ。ほんとに、今迄こんなに親切にして上げた妾に……妾、どうしていいかわからないわ。
須貝 奥さん、一度だけ、一度でいいんです。聞くだけでいいんです。聞いて下さい。そしたら……僕も……。
諏訪 須貝さん。後生《ごしょう》! 妾はもう……。
[#ここから3字下げ]
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]、お茶とパンを持って入って来る。
[#ここで字下げ終わり]
諏訪 ああ。(当惑して)後生だから須貝さん、いい……わかったでしょう、早く済ませといて下さいね。
須貝 (膨れて)ええ、成可く……出来たら……。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] チーズないのよ、母さん。
諏訪 チーズ?
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] パンって被仰ったんじゃなかった、先刻?
諏訪 ああ、そうそう、母さんうっかりして上って了うところだった。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 妾も、未納ちゃんと、お喋りしてて忘れてたのよ、御免なさい。
諏訪 あら? 両方で忘れていれば世話ないわね。須貝さん、如何?
須貝 (冷く)有難う。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] おつまみになりません?
須貝 いや、僕はやっぱり行って来ます。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 何処へ?
須貝 ええ、一寸……。
諏訪 停《と》めやしないわ。撮影所へ小道具の模様替えなんだって……
[#ここから3字下げ]
須貝去る。
[#ここで字下げ終わり]
諏訪 その辺で昌さんを見つけたら、早く帰れって言っといて下さい。聞えて?
須貝 (外で)聞えません!
諏訪 聞えませんだって。(上機嫌)如何、御機嫌は。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] どうって……母さんは?
[#ここから3字下げ]
諏訪答えない。
[#ここで字下げ終わり]
諏訪 (軽く唄って、鏡の前へ歩いて行く)心あてに……それか……とぞみる……しら露の光そえたる花の(じっと自分の顔をみている)夕(顔は云わずにくるっとふり返る)
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 何よ、母さん!
諏訪 何でも。(笑う)
須貝 (扉から顔だけ覗けて)美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]さん!
諏訪 まあ! びっくりしました。
須貝 美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]さん、ちょっと!
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] なあに。(近づく)
[#ここから3字下げ]
須貝、扉から一寸入って、美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]にだけ、何か云う。
[#ここで字下げ終わり]
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] (困って)ええ……それは、ええ、ほんとですわ。
須貝 間違いありません?
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] だって……何うして? そんなこと……。
須貝 いや。なんです。何でもないんですが……後で言いますから……後でね。
諏訪 妾、聞えてやしませんのよ。
須貝 いや、一向差支えないです。何《いず》れ、お耳に入ることですから。(澄まして出ていく)
諏訪 何の話?
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 昌允兄さん、妾のほんとの兄さんかって。変ね。
諏訪 へえ、誰がそんなことを……。で、どう言ったの。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] だって、仕様がないわ、ほんとですって言うより。
諏訪 今度そんなことを訊かれたら、あなたの知ったことじゃァありません、って言って上げなさい。よくって。
美※[#「にんべ
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