収 違う? どう違うの。
あさ子 どうだかしらないけれど、違うわ。あたしはただ慥えるだけよ。出来たらどうするなんて考えてやしない。
収 そう言う気持だけが嬉しいんだね。
あさ子 そう言うことになるのかしら。そうばかりでもないんだがな。
収 何言ってるんだかわかりゃしないじゃないか。
あさ子 そんな風に、ちゃんと考えてみたわけじゃないの。でもそう言うことになるわけね、結局。
収 結局じゃない。始っからそうだ。
あさ子 (素直に)じゃ、そうしときましょう。あたし、これをしてる間は気が伸び伸びするわ、ほんとに。
収 つまらん、つまらんことだよ。何の役にも立ちやしないからね。明日にも結婚する人が人形の着物を縫ってるなんて、考えたっておかしいよ。もう、そろそろお料理の研究でも始めるんだね。
あさ子 意地悪ね、今日は。あたし、明日にでも結婚するの? 誰と?
収 そりゃ明日は。そうさ明日はしやしないさ。だけど明後日はするかもしれない。そうだろう、結婚しない、なんて考えられない。
あさ子 それは、そう。女だものね。
収 そらみろ。
あさ子 なあに?(笑う)何、威張ってるの?
収 あなたは、どんな人と結婚したいんだ、医者か。
あさ子 さあ。
収 はっきりするんだ、法学士の外交官か。
あさ子 ――(笑っている)
収 法学士はいけないな、他人を莫迦にすることしか知らないんだよ。それに医者は、医者は、人を莫迦にしない代りに自分が莫迦になることがあるよ。
あさ子 医学部の人って、遊ぶんじゃない?
収 しらない。医者だね、医者か、やっぱり。そりゃ医学部だって色々あるさ。結局は一人々々引き抜いてみなければ、十把一《じっぱひと》からげにはゆかないと思う。
あさ子 概してよ。
収 概してなんか知るものか。そんな統計って見たことが無い。
あさ子 あんたは、どう思う? 自分と同じ方面の仕事をしている人と、まるで反対の仕事をしている人とどっちがいいと思って、結婚するのは。
収 しらんね。結婚しない間にそう言うことを考えられるのは女だけだろう。
あさ子 あたしのお友達なんか、全然反対の仕事をしてる人と、お互に助け合って行くのが、本当の生活だって言うんだけど。
収 どうだかわからない。薬学をやったものは医者の奥さんになればいいよ。無理がなくて、当り前で、きっと仕合せだろう。
あさ子 あんただったら何《ど》うする? 若しも、あんたがあたしだったら。
収 何うしてそんなことが訊きたいんだ。
あさ子 訊くだけだったらいいでしょう。
収 参考のために?
あさ子 はは。
収 笑いごとじゃない。大変なことだ。
あさ子 だから訊いてるのよ。
収 そんなこと訊いたって仕方がないよ。
あさ子 どうして。
収 だってそうじゃないか。結局あなたはあなたで、僕は僕さ。そこんとこはどうにもなりゃしない。あなたは此の頃そんなことを考えてるのか?
あさ子 子供じゃないもの、もう。
収 (感じ入って)ああ、成程。
あさ子 (わけがわからず)ほんとよ。(平気で)平凡ね、私の考。
収 大変いいと思うよ、それは。
あさ子 軽蔑するでしょう。
収 いけないな、そんなことを言うのは。軽蔑なんてしやしないよ。ところで僕は、何をうじうじしてるんだろう。莫迦な奴だ。
あさ子 え? 何て言ったの?
収 いいことだ。君の知らない……。
あさ子 変よ。
収 そうかな。
あさ子 変だわ。
収 (立上り)どら、帰ろう。
あさ子 もう帰るの。
収 話すことも無いらしいからね。
あさ子 いつもね、それは。来週月曜日は来るんでしょう、お稽古。
収 来られないだろうと思うんだ。
あさ子 再来週《さらいしゅう》は?
収 多分。
あさ子 じゃ、またそん時ね。
収 来られないだろう。その次も、それから後もずうっと。
あさ子 あら、どうして?
収 (焦《じ》れったく)どうしても糞もあるもんか。来られないと言ったら来られないんだ。
あさ子 (立上り、大きな声で)母さん母さん!
収 (驚いて)なんだ、そりゃ。
あさ子 母さんをよぶのよ。
収 よぶのさ、大きな声だからね、あなたの声は。よんでどうするのだ。
あさ子 よぶだけよ。
収 じゃ、よばなくたって、同じじゃないか。
あさ子 (笑って)なら帰るなんて言わないか。
収 ――。
あさ子 母さんは、あたしのしようと思うことは何でも、黙ってしてくれるから。
収 (参って)いいよ、いいよ。僕だって黙ってしてやるよ。強い女だな、君は。(坐る)
[#ここから3字下げ]
女中。
[#ここで字下げ終わり]
女中 よし子様のお兄様がいらっしゃいましたけれど……
あさ子 あたしじゃないでしょう。母さんいるんでしょう。
女中 ええ、でも奥さまが、そう……。
あさ子 そう。
[#ここから3字下げ]
女中、去る。
[#ここで字下げ終わり]
収 お客様らしい。やっぱり帰らなくちゃ。
あさ子 駄目々々。今帰っちゃ駄目よ。も少し。
収 だって、僕の知らない人だ。
あさ子 大丈夫よ。紹介したげるから。
収 して欲しくないよ。よく知ってる人?
あさ子 一度逢ったの。
収 紹介も凄《すさま》じい。一度逢った人か。(立上る、あさ子も)
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真紀、弘。弘、三十三。
[#ここで字下げ終わり]
真紀 どうしたの? 立ちはだかって。
あさ子 帰るんだって、急に。何だか、怒ってるみたいよ。
真紀 莫迦ね、晩まで遊んでってもいいんでしょ。まだ日があるから暑いよ。晩御飯を済ましてからになさい。
収 しかし、遅くなると。
真紀 心配なんてするものか、あなたの母さんが。(笑う。弘に)親戚と言ってもいいんです。須藤収、さんは付けたり付けなかったり。(収に)上野弘さん。あさ子のお友達のお兄様よ。さ、どうぞ……。
弘 いいじゃありませんか、ごゆっくりなさい。私が入ってもいいでしょう。
あさ子 そおら、言わないことじゃない。
[#ここから3字下げ]
収、あきらめて坐る。
女[#「女」はママ]が椅子を持込んで去る。
[#ここで字下げ終わり]
弘 (あさ子に)この間はどうも、失礼しました。あの時言ってらしった症状ね、今日血液検査表が出来ました。やっぱり、仰言ってたとおりでしたよ。
あさ子 そうですか! やっぱりあたしの言ったとおりでしたの。(弘の差出す紙片を手にとって)まあ、ほんと。
弘 然し、完全にあなたの勝と言うわけじゃありませんよ。その三番目の表を御覧なさい。それじゃない、その下、それそれ。肘静脈血の窒素含有物の定量です。まだまだ議論の余地はありそうですね。尤《もっと》も……。
あさ子 あたし忘れていましたわ。此の間は、どうも御馳走さまでした。
弘 や、どうも。
真紀 なあに、突然びっくりするじゃないの。
あさ子 (母を睨む)いいわ、母さん。(手が眉の所へ行く)
真紀 また。
あさ子 母さんこそ。
弘 ちっともわかりゃしない。
あさ子 母さん。
真紀 ん?
あさ子 先刻の電話、誰?
弘 (笑って)うまく誤魔化《ごまか》した。
あさ子 あら、そうじゃないんです。ほんとなんですよ。御自分の名前も仰言らないで、誰だかわかりますか、って笑ってるんですもの、とても変なのよ。
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弘、真紀と顔を見合せて頭を掻く。
[#ここで字下げ終わり]
あさ子 あら。
弘 どうも。
あさ子 (困って)あらあら母さん、どうしましょう。あたし大変なこと言ってしまった。
真紀 しらない、私はしらない。
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あさ子、両手で顔を蔽う。みんな笑う。
[#ここで字下げ終わり]
弘 (収に)学校は、何をおやりです。
収 ……。
あさ子 独文ですの。
弘 いいなあ、そいつは。
あさ子 怠け文学部。
収 笑われた仕返しかい。
弘 私は、美学をやりたかったのだが、親父がどうしても許して呉れないので、到々医者にされて了いました。大した方向転換です。癪《しゃく》に触ったもんで一週間ほどってもの、食事をとらないで頑張ってやりましたよ。尤もそれは家だけで、外ではやっていましたけれど。(笑う)
真紀 おや、そうでしたの。それじゃ、収さんと合うわけですよ。私、一寸失礼。(去る)
弘 文学は、何を専門になさるんです。
収 何って、別に定《きま》ってやしないんです。
あさ子 仰言いよ。
収 言うことなんて、ないじゃないか。
あさ子 あるんですよ、ほんとは。
弘 そりゃ、あるでしょう。
あさ子 あのね。
収 (むっとして)お喋りは止せったら。一々余計なこと言うもんじゃないよ。(あさ子舌を出す)
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間。
[#ここで字下げ終わり]
収 どうも唇が乾いて仕方がないのですが、あれは、やはり胃が悪い所為《せい》でしょうか。
弘 始終そうなんですか?
収 ええ、此の頃ずっと。
あさ子 運動不足よ。
弘 出来ませんね、そりゃ。
あさ子 閑で困ってるくせに。
弘 それは、あなたのことでしょう。
あさ子 あたしはとっても忙しいのですよ。毎日いろんなことで。
弘 お茶とか花とか。
あさ子 あんなもの。
弘 おやおや。
あさ子 どこがいいんでしょうねえ。あたしなんかちっとも面白くない。
弘 やってるうちに、わかるのでしょう。
収 わかる迄には止して了うのですよ。
あさ子 しないのと同じね、止そうかしら、あたし。
弘 止すことは一番に言いますね。
[#ここから3字下げ]
女中。
[#ここで字下げ終わり]
女中 (あさ子に)奥さまがちょっと。
あさ子 (立上り)待っててね。
女中 お仕事は片付けましょうか?
あさ子 仕事って、(卓の上の人形をみて)ふふ、いいの。(去る。女中去る)
弘 いいですね。
収 ?
弘 あの人、あさ子さんですよ。
収 綺麗ですね。
弘 美しいも美しいけれど。
収 それに頭も悪くない、どっちかと言えば優秀です。
弘 それはそうだが。
収 優しくって温かです。
弘 ええ……優しくって、温かでもあるけれど。
収 まだ言い足りないのですか?
弘 そんな気がします、なんだか。
収 少し変なんです。誰でもみんな持ってる筈《はず》のものを持っていない。
弘 いや誰もみんなが持っていないものを持っている、そう言った方がよくわかる。
収 そうですか。そうですね。ええ。(一寸元気がない)やっぱりね。人間は怖ろしく散文的なんだと思うけど。
弘 化学の所為でしょう、それは。物事を極端に大掴みにしてみるか、滅茶々々に砕いてみるか、そんな習慣がつきますからね。
収 そうでしょうか。
弘 その点じゃ私も負けない方ですよ。
収 なに僕だってそうだが。
弘 詩だとか小説だとか、そんなものは、読まないようですね、あまり。
収 雑誌だって読みゃしませんね。芝居や映画なんてのも、生れて此の方みたことのないひとです。
弘 雑誌もですか?
収 少しひどいですか?
弘 いや。私は雑誌は認めません。女の雑誌はね。
収 自分じゃ、わからないんだと思ってるんです。
弘 ほう。
収 あなたも、あのひとが好きになりそうですね。
弘 好きですね。大変好きです。ほんと言うと、私はあのひとを貰いたいと思ってるんです。細君にですね。私は今年三十三です。
収 どうしてそんなことを僕に仰言るんです。僕達はまだ五分間しかお話していませんよ。それじゃまるで長い間の友達みたいじゃありませんか。
弘 構わないでしょう。あなたはいい人だと思いますよ。
収 益々《ますます》驚きますね、どうしてです。
弘 そう感じたからです、見た時。
収 至極《しごく》簡単ですね。そんな直感を信用なさるんですか?
弘 信じますね。医者ってものは一体そう言うものです。
収 妙ですね、そりゃ。一番科学的に物を見る筈の……。
弘 あなたはどうです。
収 さあ、僕は。
弘 私はあまりよくは思われていないようですね。
収 どうしようかと思って、考えてるところです。(笑いながら)
弘 私だって、これで悪い人間じゃありませんよ。そうはみえませんか?
収 ――。
弘 間違ってるかもしれません。もし、そうだったら許して下さい。これは多分邪推か
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