すね。
収 ?
弘 あの人、あさ子さんですよ。
収 綺麗ですね。
弘 美しいも美しいけれど。
収 それに頭も悪くない、どっちかと言えば優秀です。
弘 それはそうだが。
収 優しくって温かです。
弘 ええ……優しくって、温かでもあるけれど。
収 まだ言い足りないのですか?
弘 そんな気がします、なんだか。
収 少し変なんです。誰でもみんな持ってる筈《はず》のものを持っていない。
弘 いや誰もみんなが持っていないものを持っている、そう言った方がよくわかる。
収 そうですか。そうですね。ええ。(一寸元気がない)やっぱりね。人間は怖ろしく散文的なんだと思うけど。
弘 化学の所為でしょう、それは。物事を極端に大掴みにしてみるか、滅茶々々に砕いてみるか、そんな習慣がつきますからね。
収 そうでしょうか。
弘 その点じゃ私も負けない方ですよ。
収 なに僕だってそうだが。
弘 詩だとか小説だとか、そんなものは、読まないようですね、あまり。
収 雑誌だって読みゃしませんね。芝居や映画なんてのも、生れて此の方みたことのないひとです。
弘 雑誌もですか?
収 少しひどいですか?
弘 いや。私は雑誌は認めません。女の雑誌はね。
収 自分じゃ、わからないんだと思ってるんです。
弘 ほう。
収 あなたも、あのひとが好きになりそうですね。
弘 好きですね。大変好きです。ほんと言うと、私はあのひとを貰いたいと思ってるんです。細君にですね。私は今年三十三です。
収 どうしてそんなことを僕に仰言るんです。僕達はまだ五分間しかお話していませんよ。それじゃまるで長い間の友達みたいじゃありませんか。
弘 構わないでしょう。あなたはいい人だと思いますよ。
収 益々《ますます》驚きますね、どうしてです。
弘 そう感じたからです、見た時。
収 至極《しごく》簡単ですね。そんな直感を信用なさるんですか?
弘 信じますね。医者ってものは一体そう言うものです。
収 妙ですね、そりゃ。一番科学的に物を見る筈の……。
弘 あなたはどうです。
収 さあ、僕は。
弘 私はあまりよくは思われていないようですね。
収 どうしようかと思って、考えてるところです。(笑いながら)
弘 私だって、これで悪い人間じゃありませんよ。そうはみえませんか?
収 ――。
弘 間違ってるかもしれません。もし、そうだったら許して下さい。これは多分邪推かもしれません。だから、しかし、明瞭《はっきり》しておかないと、後でみんなが困ることですから。(間)万一です、万一ですね、あなたがあさ子さんを……。
収 若し、そうだったら、どうなさるんです?
弘 困りますね。
収 困ったって仕方がない。
弘 しかし、やっぱり困るより他、仕方が無いでしょう。私だってあの人を愛しています。
収 そうし始めたところでしょう。
弘 それは、しかし、五年でも、五分間でも、時間の問題ではないと思うけれど。
収 そりゃ、そうですね。全く。
弘 しかし私は、あなたも好きです。
収 止しましょう、僕は年上の人に同情されるのは好まないのです。殊にその理由の無い場合。
弘 いや、まだそこ迄は行っていない。同情されるのは私かもしれない、私は……。
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あさ子。
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あさ子 (飲物を卓の上に置いて)どうぞ。
収 変に神妙だな。
あさ子 接待係り。
弘 いいものが出来てるでしょう、その腕で。
収 砂糖と食塩を間違えたりなんかして。
あさ子 大丈夫、みんな母さんがするんだから。
収 なんだ、運ぶだけか。
弘 それなら運搬係りの方だ。いいからあちらへ行きなさい。うちの妹なんかも始終やられてます。
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あさ子、笑い笑い去る。
間。
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弘 万事あの調子ですね。
収 動かざること山の如《ごと》しって言う形です。ところが、あの顔がだんだん恐くなるのですがね。
弘 みてると偉いものだと言う気がするんでしょう、きっと。
収 も少しすると、わけがわからなくなります。独り相撲ですからね。殴りつけるより他に逃げ道は無いのです。
弘 みる人にもよりますね、それは、あなたの神経ですよ、きっと。
収 あなたは?
弘 私は、ありふれた医学士ですよ。
収 あなたは、あの人の御主人には丁度いい人のようです。健康で卒直[#底本のママ]で、いい常識を持ってらっしゃる。それに身分も丁度いい。
弘 真面目にお話、して下さい。成可《なるべ》く静かにしましょう。こんなことはあの人には知らせたくないと思いますからね。あなただって異存はないでしょう。あの人をびっくりさせるだけの話ですから。
収 僕はちっとも冗談なんか言ってやしませんよ。こうなるってことは、始《はじめ》っからわかってたんです、何かしら、僕にはね。なんだかそれを
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