はいつのことでござんすえ?」と、おしおは思わず顔を上げた。
「来る十四日、明くればもう明日の夜に迫っているのだ」
「それでは明日の晩吉良邸へ乗りこんだら、あなたはもうそれぎりお帰りにはなれませぬか」
「うむ、一党残らず死ぬ覚悟で乗りこむのだ。たといその場で討死せいでも、天下の御法《ごほう》に背《そむ》いて高家へ斬りこむ以上、しょせん生きては還《かえ》られぬ。だがな」と、小平太はきゅうに声を落してささやいた、「そなたの思わくも面目ないが、どうもわしは未練があって、この期《ご》に及んでまだ死ぬ決心がつかぬ。わしの死んだ後で、お前がどうして暮すだろう、どうしてその日を送るだろうと思うと、いくら考えなおしてみても、そなたを一人残してはどうも死にきれない。で、すまぬことじゃが、お主《しゅう》のためには代えられぬ、いっそお前を手に懸けて――」
「ええッ!」
「お前は思い違いをしたようじゃが、いっそお前を手に懸けておいて、その足でお供《とも》に立とうと、寝ているのを幸い、そっと刀に手を懸けたところをお前に眼を覚されたのじゃ」
「まあ!」と言ったまま、おしおは俯向《うつむ》いて考えこんでしまった。が、ややあって、思い入ったようにむっくり顔を上げた。「あなたのお心はよう分りました。だが、なぜそうならそうと訳を聞かせておいてから、手に懸けようとはしてくださらぬ。身分こそ卑《いや》しけれ、わたしも浅野家の禄《ろく》を喰《は》んだものの娘でござんす。父はあのとおりの病身な上に、そんな企てが皆様方のうちにあるとも知らず死んで行きました。私どもは女子のこと、そんな話を聞かしてくれる人もなければ、知りもせず、これまでは夢中で暮してきたようなものの、知らぬうちはともあれ、この上はあなたのお邪魔になってはすみませぬ。わたしは覚悟を極めました!」
「なに、覚悟を極めたとは?」と、小平太はうろたえ気味に聞き返した。
「はい、どうせあなたと別れては、誰一人たよるものもないわたしの身、後に残って、一人で生きて行こうとは思いませぬ。どうぞわたしを手に懸けておいて、潔《いさぎ》よう敵討《かたきうち》のお供をしてくださりませ」
こう言って、おしおは男の前へ身体を突きつけるようにした。
「さ、その刀で一思いに殺してくだされませ。それほどわたしの身を思うてくださるあなたのお手に懸って死ぬのは、わたしも本望でござんすわいな」
「ま、待て、待てと言ったら、少し待ってくれ!」と、小平太はすっかり周章《あわ》ててしまった。「そういちがいに言われても、わしにはお前を手に懸けることはできそうもないわい」
「え、何と言わしゃんす? そんならわたしゆえに未練が出るから殺しに来たとおっしゃったは、ありゃお前本気ではござりませぬかえ」
「いいや、本気じゃ、本気には相違ないが、殺せと言われて、現在かわいい女房、それも肚に子さえ宿ったというものを、そうやみやみと手に懸けられるものでない。ううむ、待て、わしは一人で行くと覚悟をした! お前はどうか後に残って、気の毒じゃが、その子を育てて行ってくれ」
子どものことを言われて、おしおは思わず帯のところへ手を遣って、じっと頸垂《うなだ》れたまま考えこんでしまった。
「それにわしの死んだ後で、たとい忠義の士よ、お主《しゅう》のために命を捨てた侍《さむらい》よと、世に持囃《もてはや》される身になっても、わしの身寄りの者が誰一人それを聞いていてくれるものがないかと思えば、何となくうら淋しい気もする。なに、わしの兄はあっても、あれはもうわしの身寄りではない。身寄りといっては、お前一人だ。そのお前が後に残って、忠義の侍よ、あれを見よと、わしが世間から囃されるのを聞いていてくれたら、同じ死ぬにも張合があるというもの。わしは思いなおした。どうかわしの言うことを聞いて、後に生き残ってくれ!」
おしおはやっぱり俯向いたまま、何とも言わなかった。小平太は気を揉《も》んで、
「な、わしの言うことは分ったろうな? 分ったら、どうか得心《とくしん》して、わしの言うことを諾《き》いてくれ、な、な!」と、女の背に手を懸けながら繰返した。
「そうあなたのお覚悟がつけば」と、おしおはようよう顔を上げた。「なるほど、わたしは後に残って、あなたの武名が上るのを蔭ながら見させていただきましょう。まだ海のものとも山のものとも分りませぬが、もしお肚の嬰児《やや》が無事に生れましたら、立派にあなたの跡目《あとめ》を立たせます。どうぞそれだけは安心して、後へ心を残さぬように、屑《いさぎ》ようお主の敵を討ってくださりませ」
「そうか、それでやっとわしも安心した」と、小平太は本当に安心したように言った。「なに、妻子を後に残して行くものは、わしばかりではない、同志の中にはいくらもある。わしだけが妻子に心を惹《ひ》かされたとあっては、同志の前へも面目ない。ただお前をこれまで内密《ないしょ》にしておいたのが気の毒じゃが、なに、それもわしは決心した。明日にもお頭《かしら》大石内蔵助様のお目にかかって、お前のことを包まず申しあげておくつもりだ。そうすれば、お前は天下晴れてわしの女房、誰に遠慮も気兼《きがね》もないというものだからね。ただどうもこれまで一同の前へ包んでおいたのがようないが、なに、こうなれば、そんなことに遠慮も要るまい。わしはそうすることに決心したよ」
「そうしてくだされば、わたしもどんなに嬉しいかしれませぬ」と、おしおも心《しん》から嬉しそうににっこりした。
こうして二人は夜の明けるまで互に尽きぬ思いを語り明した。そして、夜の白々明けを待って、「もう二度とは顔を見せないぞ」と言いおいたまま、小平太は思いきって、袂《たもと》を振りきるように、その長屋を出てしまった。
十一
小平太が林町の宿へ帰ってきた時は、まだ夜が明け放れたばかりであった。勘平は一人起きだして、雨戸を繰っていた。そして、小平太の顔を見ると、
「おお毛利か、帰ってきたな」と、いつものように声を懸けた。
「いや、昨夜は御心配をかけてすまなかった」
「なに、別段心配はせんがね、ただ時日が迫っているので、何かまた異変でも生じた時、君が居合せないために、後で臍《ほぞ》を噛むようなことがあってはならぬと、ただそれだけを案じたよ」
「ありがとう、母がまた癪《しゃく》を起してね、まあ、これが最後だと思って、宵終《よっぴて》ついていて看護してきたよ」
「で、別にたいしたことはないのか」
「いや、いつもの持病だ。気がかりなことはないさ」と言いながら、小平太は極《きま》りの悪そうに、こそこそ自分の居間へはいった。
同志から疑いの眼で見られるのも辛いが、それよりも、この期《ご》に及んでなおその前を繕《つくろ》うために、同志を欺《あざむ》かねばならぬということが、小平太にはいかにも心苦しかった。そうだ、これはどうしても頭領に届けでるほかはない。一刻も早く届け出でて、その御裁可《ごさいか》を得ておく。もっとも、こんなことまで太夫《たゆう》の耳に入れるのは、いかがとも思われないではないが、たとい女には関係しても、小山田などと一つでない証拠を見せるためには、思いきって何もかも白状してしまうほかない。そうすれば、俺もいよいよ後へは退かれなくなる道理だ! ただこんなことを太夫に申入れるには、誰か人をもってするのが本当かもしれないが、差当ってそれを打明けるのに恰好《かっこう》な相手も同志の中には見当らない。なに、かまうものか、場合が場合だ、面《つら》押拭《おしぬぐ》って自分で申しあげることにしよう。そう決心するとともに、彼はその日の昼過ぎから、ちょっと石町《こくちょう》まで伺候《しこう》してくると同宿の二人に断って、ぶらりと表へ出た。
急ぎ足に小山屋の隠宅まで来てみると、頭領大石は今国元へ送る書面を認《したた》めていられるというので、すぐには面会ができなかった。同じ宿に泊っている潮田《うしおだ》又之丞、近松勘六、菅谷《すがのや》半之丞、早水《はやみ》藤左衛門なぞという連中は、一室置いた次の間に集まって、上《かみ》の間に気を兼ねながらも、何やらおもしろそうに談話《はなし》をしていた。時にはわれを忘れて大きな声も出した。小平太はその中に加わったようなものの、ほかの連中は皆百五十石、二百石取りの上士《じょうし》ばかりで、三村次郎左衛門を除いては、元の身分が違うから、何となく話しもそぐわないような気がして、黙って隅の方に控《ひか》えていた。同志は「もっとこちらへ出られよ」と勧めてくれたが、遠慮してそばへ寄らなかった。次郎左衛門はもともと士分とも言われぬ小身ものだけに、自分もそのつもりで、始終起ったり坐ったりしながら、忠実《まめ》に一同の用を達していた。
内蔵助の書いている書面というのは、赤穂の元浅野家|菩提所《ぼだいしょ》華岳寺の住職|恵光《えこう》、同新浜正福寺の住職良雪、自家の菩提所|周世《すせ》村の神護寺住職三人に宛《あ》てたもので、自分が江戸へ下ってからの一党の情況を報じて、いよいよ一挙の日も迫ったことを告げた上、
「このたび申合せ候《そうろう》者《もの》ども四十八人にて、斯様《かよう》に志を合せ申す儀も、冷光院殿この上の御外聞と存ずることに候。死後御見分のため遺しおき候口上書一通写し進じ候。いずれも忠信の者どもに候《そうろう》間《あいだ》、御回向《ごえこう》をも成《なされ》下《くださる》べく候。その場に生残り候者ども、さだめて引出され御尋ね御仕置にも仰附《おおせつ》けらるべく、もちろんその段|人々《にんにん》覚悟の事に候。御心易かるべく候云々」と書いてあった。死後御検分のため遺しおく口上書とは、二日に深川八幡前で認めた仇討《あだうち》の宣言書と起請文《きしょうもん》のことで、その中には毛利小平太の名も歴然として記載されてあるこというまでもない。なお内蔵助はそれについで、己《おの》が妻子のことにも言い及んで、
「はたまた拙者妻こと、京より離別|仕《つかまつ》り縁者方へ返し申候。伜、娘儀いかように罷成《まかりな》り候ともそれまでの事に候」といい、さらに平常《ひごろ》方外の友として、その啓沃《けいよく》を受けた良雪に対しては、
「良雪様、去年以来の御物語、失念|仕《つかまつ》らず、日々存じ出し、このたび当然の覚悟に罷成りかたじけなき次第に御座候。日ごろ御心易く御意を得《え》候《そうろう》各々様ゆえ、別して御残多く、御暇乞かたがたかくのごとく御座候、恐惶謹言」と結んでいる。で、それを書いてしまうと、若党室井左六、加瀬村幸七の両人をそばへ喚《よ》んだ。かねてその旨|吩咐《いいつ》けられていたので、両人とも旅支度をして脚絆《きゃはん》まで穿《は》いていたこととて、その書状を受取るなり、一同に暇乞《いとまご》いして、涙を拭き拭き出て行った。
で、この隙間《ひま》に太夫に会ってと、小平太は腰まで上げたが、吉田忠左衛門が来て、何やら太夫と打合せをしていると聞いて、またその腰を卸《おろ》してしまった。そして、ふたたび黙って諸士の話しに耳を傾けた。
「今ごろから出かけて、あの二人は日のあるうちにどこまで延しますかな」と、一人が言った。
「さ、脚の早い者とて、六郷までは参りましょうか。今夜は川崎泊りですよ」
「日の短いごろですからな」と、また一人がそれに応えた。「それにしても、あの主思いな二人の忠節といい、それを出してやられる太夫のお心のうち、昔の鬼王、童三《どうざ》が古事《ふるごと》も想いだされて、拙者は思わず貰い泣きをしました」
「さようさよう。同じ大石殿の家来の中《ちゅう》にも、瀬尾孫左衛門のような人非人《にんぴにん》もあれば、またあんな忠義なものもある。まさかの場合になって、始めて人の心は分るものでござるな」
こんな話しを聞いていると、小平太には、せっかく太夫に聞いてもらおうとした自分の用事が取るに足りないばかりでなく、何だが滑稽《こっけい》のようにも思われてきた。自分としては一生懸命だが、人が聞けば、何と思って今ごろそんなことを言いだすか
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