たふりをして、この場を納めるほかないと思ったので、
「なるほど分りました」と、下を向いたまま言いだした。「一時の血気に速《はや》って、兄上の御迷惑になるとも知らず、一味に加担しましたのは、重々私の心得違いでした。では、お言葉に従って、大石殿始め同志の方々には相すみませぬが、誓約を破って脱退することにいたしましょう」
「しかとその気か」
「何しに虚偽《いつわり》を申しましょう? 私とてもしいて命を捨てとうはござりませぬ。その代りには、兄上、大石殿始め一党のことはどうぞ御内分にしてくださりませ」
「うむ、お前がそう心を改めた上は、わしも好んであの方々の邪魔をしようとは思わぬ。御一統の企てについては、ほかから漏れたら知らぬこと、わしからは金輪際《こんりんざい》口外《こうがい》すまい。それだけは固く約束しておくよ」
「どうかそのようにお願いいたします」
「しかし、お前としても今の言葉はどこまでも守ってくれねばならぬぞ」と、新左衛門はあらためて念を押すように言った。「お前が浪人した上に、二人|揃《そろ》って扶持《ふち》に離れるようなことがあってはならぬからな――ま、これはここだけの話しじゃけれど」
 小平太は黙って相手の顔を見返した。
「俺たちには年を取った母親もある」と、新左衛門は気が指したのか言いなおした。「わしにも大切《だいじ》な阿母《おかあ》さんなら、お前にとっても一人の母親だ。この老母を路頭に迷わせるようなことがあってはならぬからな」
「ごもっともでございます」と、小平太も母親のことを言われた時は一ばん身に染みた。「ただこれまで事をともにしてきた関係上、にわかに同志に背を向けるようなこともいたしかねますが、近々のうちには機を見て身を引くことにして、けっして兄上と番《つが》えた言葉は違《たが》えませぬから、その段はどうぞ御安心ください」
「それでやっと安心した。なに、お前の立場の苦しいことは、わしも察している。ただくれぐれもその言葉を違えまいぞ」
 小平太は唯々《いい》として頭を下げた。それから二三話しもしていたが、長居は無用と思ったので、いずれそのうちまた出なおしてくるからと言いおいたまま、そこそこにその家を出てしまった。
 街の上へ出た時、彼は自分で自分が分らなくなるほど顛動《てんどう》していた。彼が予期したことはまるで反対の結果になった。兄に打明けて、兄から同情と激励《げきれい》の言葉でも受けようと思っていたのに、かえってこちらの勇気を挫《くじ》かれたばかりか、あんな一時|遁《のが》れの嘘まで吐かなければならぬ嵌目《はめ》に陥《おちい》ってしまった。といって、それを幸いに、その嘘を真実《ほんとう》にしようなぞという気はもうとう起らなかった。彼にはあまりにも自己本位な兄の性根がありありと見え透《す》いていた。
「そうだ、兄が本当に主家を憂うる真心から、ああ言って俺に迫ったのなら、俺はこのまま兄の言うことを聞いて、同志を裏切るような気になったかもしれない。危殆《あぶな》い、本当に危殆《あぶな》いところだった」
 そう思いながらも、いっこうその兄に対する反撥心《はんぱつしん》の起らぬのが、自分でも不思議でならなかった。彼は心のうちのどこかで兄を是認《ぜにん》していた。しかも、それを突詰めてみることは、彼には怖ろしかった。
 彼はただ何とも言われない侘《わび》しさと寂寥《せきりょう》とを感じて、とぼとぼと街の上を歩いていた。

     八

 林町の宿へ戻った時は、まだ日が高かった。同宿の者はたいてい出払って、一人小山田庄左衛門が人待ち顔にぼんやり居残っていた。そして、
「おお水原か、どこへ行ってこられた?」と声を懸けた。
「は」と言ったものの、小平太には兄の許《ところ》へと実を言うのが何となく心苦しかった。で、「ちょっと知人の許《もと》へ」と、その場をごまかしておいて、
「それにしても、あなたは江戸に親御もあれば、御縁者も多いはず、どうしてそちらへお出かけにはなりませぬか」と反問してみた。
「なに、この期《ご》に及んで縁故のものをたずねても、何にもならぬからな」と、庄左衛門はわざと快活に笑ってみせた。
「でも、お父上一閑様は寄るお年波でもあり、さぞあなたを待ち侘びていられましょう」
「なに、あの親爺が」と、庄左衛門はそれでも寂しそうに言った。「あれは御承知のとおりの一剋者《いっこくもの》、わたしが会いになぞ行こうものなら、今ごろ何しに来た? 主君の仇も討たないうちに、何用あって親になぞ会いに来た? と、頭から呶鳴《どな》りつけますわい。先ごろちょっと立ち寄った時にも、いかい不興な顔をしましてな、もう来ても、二度とは顔を見せぬと叩きだすように追い返しました。八十を越した年寄とて、気にかからんでもないが、そんな訳で遠慮しておりますのじゃ」
「それはそれは」と言ったまま、小平太は自分の兄に引較べて、ちょっと返辞ができなかった。「なるほど、お父上の気性ならそうもありましょう。立派な父御を持たれてお羨《うらや》ましい」
 実際、彼は羨ましかった。そういう父親を持っていたら、自分も今になってこんなに心の動くこともあるまい。それにつけても、何と思って兄になぞ大事を打明けたかと、今さらのように自分の不覚を悔《くや》まずにはいられなかった。
 二人がそうしているところへ、表から足音荒く横川勘平がはいってきた。そして、ぷんぷん腹を立てながら、
「おい、また裏切者が出たぞ!」といきなり喚《よ》ばわった。
「裏切者?」と二人はいっせいに相手を見上げた。
「そうだ、裏切者が出た、しかもこの宿から出たのだ!」
 小平太はぎくりとして思わず飛び上った。何だか自分が今兄としてきた相談の一伍一什《いちぶしじゅう》をそのまま勘平に聞いていられたような気がしたのである。
「中村と鈴田の二人が朝から出て行った」と、勘平は委細かまわず続けた。「俺はどうもその出方が怪しいと思ったので、君らが出かけた後で、そっとその行李《こうり》を調べてみると、いつ持ちだしたものやら、何一つ残っていないではないか。それには惘《あき》れたね。が、捨ておかれぬと思ったから、すぐに頭領の許《ところ》へ駈《か》けつけてみた。すると、どうだ、太夫はもうちゃん[#「ちゃん」に傍点]と二人のことを知っていて、『どうも是非《ぜひ》におよばぬ』と言っていられるのだよ。聞いてみると、あいつらはもう書面でもって脱退の旨を届けてきたんだそうな。その文句がいいね。『自分ども存じ寄りの儀があって、今日限り同盟を退く。かねがね御懇情《ごこんじょう》を蒙《こうむ》ったが、年取った親もあることとて、どうも思召しどおりになるわけに行かない。よって自分どもは自分どもで一存を立てるつもりだから、どうぞ連判状から抜いてくれ』とあるんだとよ。奴らも今になってそんな卑怯《ひきょう》なことを言いだすくらいなら、何と思ってはるばる江戸まで下ってきたのだ? 俺にはその了簡《りょうけん》が分らないね」
「さあ」と言ったまま、小平太にはやっぱり返辞ができなかった。黙って聞いていると、何だか自分が罵《ののし》られているようにも思われた。
「たぶん江戸へ来れば、何かよいことでもあるように思ってきたんだろうが」と、勘平はまだ余憤《よふん》が去らないように、一人でつづけた。「それが、そんな話がないばかりか、討入《うちいり》の日取りまで極ったというので、吃驚《びっくり》して腰を抜かしたんだろうよ」
「まさかそうでもあるまい」と、小平太はようよう口を挾んだ。「円山会議でいよいよ仇討と決した時、太夫から諸士へ廻された廻状にも、ちゃんとそれは明記してあったからな」
「それが慾目で分らなかったのさ」と勘平は捨ててやるように言って、からからと笑った。「だが、あいつらのように恥を忍んで生き延びたところで、いつまで生きるつもりだ? この先百年も生きやしまいし、晩《おそ》いか早いか、どうせ一度は死ぬる身ではないか」
「そうだ、どうせ一度は死ぬる身だ」と、小平太は自分で自分に言って聞かせるように呟《つぶや》いた。
「それが分らないんだから情けないね」と、それまで黙っていた庄左衛門もぽっつり口を出した。そして、三人ともそれぎり黙ってしまった。
「しかしね」と、しばらくして勘平は、何やら一人で考えているように言いだした。「俺に言わせれば、今になって返らぬことじゃあるが、このように敵討《かたきうち》を延び延びにされた太夫のしかたもよくない。第一、それがために、吾々の仕事が方々へ漏《も》れてしまった。今までのところでは、それも別段|差支《さしつか》えないようなものの、しかしだんだん士気の沮喪《そそう》してきたことは争われないぞ。せめてこの春にでも事を挙げられたら、百二十五人が五十人を欠くまでには減らなかったろうに! それを思うと、どうも残念でたまらないよ」
 聞いている二人は思わず顔を見合せた。なるほど五十一人残っていた同志が、二人の逃亡によって、もはや四十九人になっていた。
「最初の脱盟者は例の高田郡兵衛だ」と、勘平は相手がそこらにでもいるように、一方を睨《にら》みつけながらつづけた。「あいつもこの春までは、安兵衛殿、孫太夫殿と並んで、硬派中の硬派と目されていた。それがどうだ、脱盟者の魁《さきがけ》となってしまったではないか。安兵衛殿の話に聞けば、何でも旗本の叔父から養子にと望まれたが、だんだんそれを断《ことわ》っているうちに、そばにいた兄が弟は仇討の大望を抱いているから、お望みに応じかねるのだと、うっかり口を辷《すべ》らしてしまった。叔父はそれを聞いて、『なに仇討? それは大変なことを考えている。天下の直参《じきさん》として、そんなことを聞き捨てにはならぬ』と言い張って、どうしても承知しない。そこで、叔父の言葉に従わなければ、大事が漏れて御一統にも難儀をかけるから、恥を忍んで身を退くと断って、連盟から脱退したということだよ。なるほど、その言分だけを聞けば、いちおうもっとものようにも思われるが、そのじつはどうだか分ったものじゃないね。それほど儀を重んずる心があるなら、なぜ自分からまず腹を切らないのだ? 命を捨てたら、どんな分らない叔父でも、まさか一統に迷惑を懸けるようなこともしでかすまい。それをしえないで、おめおめと養子になって生き延びているのは、何といっても命が惜しいからだよ。ね、そうじゃないか」
「そうだ、命が惜しいからだ」と、小平太は反射するように言った。実際、彼は自分でも何を言っているか分らなかった。彼はただ郡兵衛の脱盟した前後の事情のあまりによく自分が兄から言われた言葉に似ていることだけが分っていた。そして、自分が郡兵衛の立場に置かれたらどうするだろうと、そればかり考えていた。
 その晩横になってからも、小平太はやっぱり中村鈴田両人のことが気になって、どうしても寝つかれなかった。中田理平次一人の時は、まだしも考えなおした。が、その後からまた二人の反逆者が出た。しかも、自分が朝夕顔を合せていた者の中から出た。彼は考えこまずにはいられなかった。
「二人はさんざ勘平から恥じしめられた。が、その代りに命を助かった。そうだ、恥を忍べば、まだ助かる道はあるのだ」
 そう思って、小平太は自分ながらはっとした。武士が命を惜しむの、卑怯者だのと言われたらそれまでだ。それが最後の宣告である。彼はまだそれを超越するほど頽廃的《たいはいてき》になってもいなければ、またそれほど人として悪摺《わるず》れてもいなかった。
「そうだ、高田郡兵衛が最初の脱盟者になって、俺が最後の脱盟者になる? そんなことはありえない、断じてあってはならない!」
 彼は一晩中|輾々反側《てんてんはんそく》して、やっと夜明け方にうとうととした。

     九

 師走《しわす》の二日には、深川八幡前の一|旗亭《きてい》に、頼母子講《たのもしこう》の取立てと称して、一同集合することになっていた。討入前の重大な会議のこととて、その日は安兵衛も、勘平も、小平太も打揃《うちそろ》うて午過ぎから出かけた。
 
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