して、黙って隅の方に控《ひか》えていた。同志は「もっとこちらへ出られよ」と勧めてくれたが、遠慮してそばへ寄らなかった。次郎左衛門はもともと士分とも言われぬ小身ものだけに、自分もそのつもりで、始終起ったり坐ったりしながら、忠実《まめ》に一同の用を達していた。
 内蔵助の書いている書面というのは、赤穂の元浅野家|菩提所《ぼだいしょ》華岳寺の住職|恵光《えこう》、同新浜正福寺の住職良雪、自家の菩提所|周世《すせ》村の神護寺住職三人に宛《あ》てたもので、自分が江戸へ下ってからの一党の情況を報じて、いよいよ一挙の日も迫ったことを告げた上、
「このたび申合せ候《そうろう》者《もの》ども四十八人にて、斯様《かよう》に志を合せ申す儀も、冷光院殿この上の御外聞と存ずることに候。死後御見分のため遺しおき候口上書一通写し進じ候。いずれも忠信の者どもに候《そうろう》間《あいだ》、御回向《ごえこう》をも成《なされ》下《くださる》べく候。その場に生残り候者ども、さだめて引出され御尋ね御仕置にも仰附《おおせつ》けらるべく、もちろんその段|人々《にんにん》覚悟の事に候。御心易かるべく候云々」と書いてあった。死後御検分
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