でもお家の再興を計った上、その成否を見定めてから事を挙げようとするものと、そんな宛にもならぬことを当にして、便々と待ってはいられない、その間に敵《かたき》と覘《ねら》う上野介の身に異変でもあったらどうするかと、一|途《ず》に仇討の決行を主張するものとがあって、硬軟両派に分れていた。前者の音頭《おんど》を取るものは、さきに大石と同行した奥野将監を始めとして、小山、進藤の徒であり、後者は堀部安兵衛、奥田孫太夫などの在府の士、並びに関西では原総右衛門、大高源吾、武林唯七らの人々であった。その争いが烈しくなるにつれて、前者は後者を罵《ののし》って、あいつらがそんなに逸《や》るのは喰うに困るからだと言った。そして、それは事実でもあった。元禄十五年の正月二十六日に、堀部安兵衛、奥田孫太夫、高田郡兵衛三人の連名で、江戸から大石に宛てた書面に、上方の連中がゆっくりしていられるのは、敵《かたき》の様子を目の前に見ていないからだ、それを毎日見せつけられている吾々の胸中も察してもらいたいというような意味のことを述べた末に、「同志の中でも器用なものは、医者の真似《まね》をしたり鍼医《はりい》になったりして、そ
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