精神である。当時の侍《さむらい》は、君父《くんぷ》の仇をそのままに差|措《お》いては、生きて人交りができなかった。彼もその精神に押しだされたのである。そして、内蔵助の帰洛《きらく》に随行《ずいこう》して、上方《かみがた》へ上って、しばらく京阪の間に足をとどめていた。
時代の精神と、もう一つは、世が太平になったために、ひとたび主《しゅう》に放れた浪人は喰うことができない、何人《だれ》も抱え手がないという事実に圧迫されて、小平太のほかにも、誓書を頭領にいたして、新《あらた》に義盟につくもの前後|踵《くびす》を接した。いかに喰えない浪人生活よりも、時代の精神に追われて死につく方が、彼らにとって快《こころよ》く思われたかは、主家の兇変《きょうへん》の前に、すでに浪人していた不破数右衛門《ふわかずえもん》、千葉《ちば》三郎兵衛、間新六《はざましんろく》の徒《と》が、同じように連盟に加わってきたのでも分る。とにかく、元禄十四年の暮から明くる年の春にかけて、連判状にその名を列《つら》ねるものじつに百二十五名の多きに上った。しかも、その中には、内匠頭の舎弟《しゃてい》大学を守《も》りたてて、ならぬま
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