ちだしたものやら、何一つ残っていないではないか。それには惘《あき》れたね。が、捨ておかれぬと思ったから、すぐに頭領の許《ところ》へ駈《か》けつけてみた。すると、どうだ、太夫はもうちゃん[#「ちゃん」に傍点]と二人のことを知っていて、『どうも是非《ぜひ》におよばぬ』と言っていられるのだよ。聞いてみると、あいつらはもう書面でもって脱退の旨を届けてきたんだそうな。その文句がいいね。『自分ども存じ寄りの儀があって、今日限り同盟を退く。かねがね御懇情《ごこんじょう》を蒙《こうむ》ったが、年取った親もあることとて、どうも思召しどおりになるわけに行かない。よって自分どもは自分どもで一存を立てるつもりだから、どうぞ連判状から抜いてくれ』とあるんだとよ。奴らも今になってそんな卑怯《ひきょう》なことを言いだすくらいなら、何と思ってはるばる江戸まで下ってきたのだ? 俺にはその了簡《りょうけん》が分らないね」
「さあ」と言ったまま、小平太にはやっぱり返辞ができなかった。黙って聞いていると、何だか自分が罵《ののし》られているようにも思われた。
「たぶん江戸へ来れば、何かよいことでもあるように思ってきたんだろうが
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