居残っていた。そして、
「おお水原か、どこへ行ってこられた?」と声を懸けた。
「は」と言ったものの、小平太には兄の許《ところ》へと実を言うのが何となく心苦しかった。で、「ちょっと知人の許《もと》へ」と、その場をごまかしておいて、
「それにしても、あなたは江戸に親御もあれば、御縁者も多いはず、どうしてそちらへお出かけにはなりませぬか」と反問してみた。
「なに、この期《ご》に及んで縁故のものをたずねても、何にもならぬからな」と、庄左衛門はわざと快活に笑ってみせた。
「でも、お父上一閑様は寄るお年波でもあり、さぞあなたを待ち侘びていられましょう」
「なに、あの親爺が」と、庄左衛門はそれでも寂しそうに言った。「あれは御承知のとおりの一剋者《いっこくもの》、わたしが会いになぞ行こうものなら、今ごろ何しに来た? 主君の仇も討たないうちに、何用あって親になぞ会いに来た? と、頭から呶鳴《どな》りつけますわい。先ごろちょっと立ち寄った時にも、いかい不興な顔をしましてな、もう来ても、二度とは顔を見せぬと叩きだすように追い返しました。八十を越した年寄とて、気にかからんでもないが、そんな訳で遠慮しております
前へ 次へ
全127ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森田 草平 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング