さに同志を裏切る気にもなれなければ、またそれだけのあつかましさも持合せていない。
「なに、俺一人で死ぬのじゃない」と、彼はしばらくしてようよう乾燥《かっぱしゃ》いだような声で呟《つぶや》いた。「死ねば皆いっしょに死ぬのだ!」
こう自分で自分に言って聞かせてから、何人《だれ》も見ていたものはなかったかと心配するように、そっと眼を上げてあたりを見廻した。気がついてみると、じっとりと頸筋《くびすじ》のまわりに汗を掻いて、自分ながら顔色の蒼醒《あおざ》めているのがよく分った。
その後も、小平太はできるだけ自分の心の動揺《どうよう》を同志の前に隠すように努《つと》めた。もっとも、彼が同志に心のうちを覚《さと》られまいとするには、もう一つほかに理由があった。それは彼に一人の情婦《おんな》があったからだ。亀井戸天神の境内《けいだい》で井上源兵衛の娘おしおに出逢って、あわれな身の上話を聞いてからというもの、宿へ帰ってもその女のことが気になって、どうも心が落着かなかった。で、明くる日はさっそくわずかばかりの手土産を持って、かねて聞いておいた七軒長屋に母親の病気を尋ねてみた。が、行ってみると、聞いたよ
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