。仇討は吾々だけで十分遣《や》ってみせるよ」と言った。
勘平もそれには異存がなかった。
とにかく、一時百二十余名に上《のぼ》った義徒の連盟も、江戸へ集まった時には、こうして五十人余りに減ってしまった。が、それだけにまた後に残ったものの心はいっそう引締ってもきた。少なくとも、人数の減少によってぐらつくようには見えなかった。
が、十一月の二十日になって、麹町《こうじまち》四丁目|千馬《ちば》三郎兵衛の借宅に、間喜兵衛、同じく重次郎、新六なぞといっしょに同宿していた中田理平次が、夜逃げ同様に出奔《しゅっぽん》したという知せが同志の間に伝わった。江戸へ下った者はまさかだいじょうぶだろうと思っていただけに、同志もこれには吐胸《とむね》を吐いた。現在同志と思っている者も宛にはならぬというような感情も湧いて、互に相手を疑うような気持にもなった。中にも、小平太は少なからぬ衝撃《しょうげき》を受けた。
「そうだ、同志も宛にはならぬ。だが、俺はどうだ、俺は宛になるか」
そう思った時、彼はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として思わず身を竦《すく》めた。彼といえども、最初連盟に加わった時から、一死はもとよ
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