ちらの苦心はひととおりでなかった。が、そんなことにあぐむような彼らでもなかった。日夜その機会を覘《ねら》っていて、それ火事だ! とでも言えば、真先に屋根へ駆け上って、肝心の火事はよそに、向側の吉良邸の動静を目を皿のようにして窺《うかが》ったものだ。
円山会議の後、真先に江戸へ下った堀部安兵衛は、浪人剣客長江長左衛門という触れ込みで、米屋の店にほど遠くない林町五丁目に借宅《しゃくたく》した。前哨《ぜんしょう》たる米屋の店と聯絡《れんらく》を取って、何かの便宜《べんぎ》を計るためであったことはいうまでもない。この借宅には、在府の士小山田庄左衛門を始めとして、七月中安兵衛より一足先に江戸へ下った横川勘平、一足後れてすぐその後から下ってきた、毛利小平太の三人が同居した。そして、横川は三島小一郎、小平太は水原武右衛門と変称した。なお前者は、身分こそ五両三人扶持の徒士《かち》にすぎなかったが、主家没落の際は、赤穂城から里余《りよ》の煙硝蔵に出張していて、籠城《ろうじょう》殉死《じゅんし》の列に漏《も》れたというので、それと聞くや、取る物も取りあえず城下へ駈けつけて、内蔵助の許《ところ》へ呶鳴《ど
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