」と、新左衛門の声は思わず筒抜《つつぬ》けた。
「はい、加担しております」と、小平太も度胸を定めて言いきった。「主家の没落に遇《あ》って武士の意気地《いきじ》を立てるには、そのほかに道もおざりませぬ。兄上、お察しくだされい」
「ふむ、それは困ったことになったな」と、新左衛門は両腕を拱《こまぬ》いたまま、溜息《ためいき》を吐いた。
「何とおおせられます?」と、小平太も顔色を変えた。「では、兄上は大石殿の一挙に不同意じゃとおおせられるか」
「ずんと不同意じゃ」と、新左衛門は相手の眼を見返したまま言った。「考えてもみい、今の浅野の浪人どもがそのような暴挙に出て、お膝元《ひざもと》を騒がしたら、戸田のお家はどうなると思う? 去年|内匠頭様《たくみのかみさま》刃傷《にんじょう》の際にも、大垣の宗家《そうけ》を始め、わが君侯にも連座のお咎《とが》めとして、蟄居《ちっきょ》閉門《へいもん》をおおせつけられたではないか。今度そんなことがあれば、お家の興廃《こうはい》にも係《かかわ》る一大事じゃ。お前にはそれが分らぬか」
そう言われてみると、小平太には何と返す言葉もなかった。で、しばらく俯向いたまま無言をつづけていたが、ややあって、
「では、兄上は、私に武士の道を捨てよとおっしゃるか」と、心外らしく聞き返した。
「そうだ、捨ててもらうほかないな」と、新左衛門は言いきった。「いや、お前の心中は察している。兄としても、お前に武士の道を立てさせたい。しかし、わしにはわしの主君がある。主君の大事になると知って、お前をこのままにはしておかれぬぞ」
「とおっしゃるが、かりに私が退くとしましても、大石殿始め一味の徒党が吉良殿の邸へ打入ったとしたら、どうなされます?」
「大石殿のことまでは、われら風情には力及ばぬ。ただ兄として弟がそんな大事に加担《かたん》するのを見てはおられぬと申すのじゃ」
「で、もし私がどうしても脱退せぬと申しましたら?」
「このまま引ったてて、当家の御重役に訴《うった》えでるまでじゃ」
こう言って、新左衛門はすぐにも立ち上りそうな気勢を見せた。
「ま、お待ちくだされ、しばらくお待ちくだされい」と、小平太は慌《あわ》てて押留めた。ひょん[#「ひょん」に傍点]なことを言いだしたばかりに、とんだことになってしまったとは思ったが、どうにもしかたがない。とにかく、ここは兄の言葉に従ったふりをして、この場を納めるほかないと思ったので、
「なるほど分りました」と、下を向いたまま言いだした。「一時の血気に速《はや》って、兄上の御迷惑になるとも知らず、一味に加担しましたのは、重々私の心得違いでした。では、お言葉に従って、大石殿始め同志の方々には相すみませぬが、誓約を破って脱退することにいたしましょう」
「しかとその気か」
「何しに虚偽《いつわり》を申しましょう? 私とてもしいて命を捨てとうはござりませぬ。その代りには、兄上、大石殿始め一党のことはどうぞ御内分にしてくださりませ」
「うむ、お前がそう心を改めた上は、わしも好んであの方々の邪魔をしようとは思わぬ。御一統の企てについては、ほかから漏れたら知らぬこと、わしからは金輪際《こんりんざい》口外《こうがい》すまい。それだけは固く約束しておくよ」
「どうかそのようにお願いいたします」
「しかし、お前としても今の言葉はどこまでも守ってくれねばならぬぞ」と、新左衛門はあらためて念を押すように言った。「お前が浪人した上に、二人|揃《そろ》って扶持《ふち》に離れるようなことがあってはならぬからな――ま、これはここだけの話しじゃけれど」
小平太は黙って相手の顔を見返した。
「俺たちには年を取った母親もある」と、新左衛門は気が指したのか言いなおした。「わしにも大切《だいじ》な阿母《おかあ》さんなら、お前にとっても一人の母親だ。この老母を路頭に迷わせるようなことがあってはならぬからな」
「ごもっともでございます」と、小平太も母親のことを言われた時は一ばん身に染みた。「ただこれまで事をともにしてきた関係上、にわかに同志に背を向けるようなこともいたしかねますが、近々のうちには機を見て身を引くことにして、けっして兄上と番《つが》えた言葉は違《たが》えませぬから、その段はどうぞ御安心ください」
「それでやっと安心した。なに、お前の立場の苦しいことは、わしも察している。ただくれぐれもその言葉を違えまいぞ」
小平太は唯々《いい》として頭を下げた。それから二三話しもしていたが、長居は無用と思ったので、いずれそのうちまた出なおしてくるからと言いおいたまま、そこそこにその家を出てしまった。
街の上へ出た時、彼は自分で自分が分らなくなるほど顛動《てんどう》していた。彼が予期したことはまるで反対の結果になった。兄に打明けて、兄から同情
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