と》に身を寄せて、その隙間から覗《のぞ》きこんだ。目の前はやっぱりお庭先の植込らしく、木の枝に視線は遮《さえぎ》られるが、それでも廻縁になった廊下が長くつづいて、閉《た》てきった障子《しょうじ》にあかあかと夕日の射しているさまが、手に取るように窺《うかが》われた。上野介の居間がどのへんにあるかは、もとより知る由もない。が、左手に見える檜垣《ひがき》の蔭には泉水でもあるらしく、ぼちゃんと鯉の跳ねる音も聞えてきた。小平太はだんだん大胆になって、少しずつ門の扉《とびら》を開けて行った。もう少しで頭だけ入りそうになった時、すうと向うに見える障子が明いて、天目《てんもく》を持った若い女が縁側にあらわれた。彼はぎくりとして思わず後へ退った。が、間《あい》が離れているので、向うでは気のつくはずもない。そのまま廊下づたいに、音もなく下手《しもて》へはいって行く。
小平太は振返って、用心深くあたりを見廻した。幸いに、どこから見ていられた様子もない。この上危い思いをして覗いていても得るところはあるまい、ここらが見切り時だと、彼は急いで門を離れた。が、せめて長屋の戸前でも数えて行ってやれと、心の中でそれを読みながら歩いているうちに、不意に背後《うしろ》で「わあッ!」という声がして、五六人の子供が彼のそばをばたばたと駈《か》けだして行った。一人の吹矢を持った男の子の後から、大勢がいっしょになって駈けだして行くのだ。彼はまた胆《きも》を潰した。が、それと分ると、まあ、あそこにぐずぐずしていないで、いい塩梅《あんばい》だと思った。そのうちにとうとう表門まで来てしまった。で、
「どうもありがとう存じます、行って参《さん》じました」と、もう一度門番に挨拶《あいさつ》をして、街の上へ出た。
六
小平太は一丁ばかり来て、始めて吾に返ったように息を吐《つ》いた。別段取りたてて吹聴《ふいちょう》するようなこともないが、使命だけは無事に果した。これだけ見てくれば、同志の前に面目の立たぬようなこともあるまい。そう思って、彼はまた駈《か》けだすようにして林町の宿へ帰った。宿には安兵衛、勘平の両人はいうまでもなく、吉田忠左衛門の田口一真まで来合せて、彼の帰宅《かえり》を待っていた。気早の勘平は、足音を聞くや、縁先まで駈けだしてきて、
「おお帰ってきたな、首尾《しゅび》はどうだった?」と、いきなり訊《たず》ねた。
「うむ!」と言ったまま、小平太はもう一度振返って、後を跟《つ》けるものの有無《うむ》を見定めてから、始めて座敷へ上った。
奥の座敷には、忠左衛門と安兵衛の二人がひそひそと対談していた。小平太はまず忠左衛門に一礼して、さて安兵衛と勘平の前に持って帰った状箱を差出した。
「ふむ、これが返事だな」と、安兵衛は手に取って、ちょっとその上書に眼をやったが、すぐにまたそれを下に置いて訊ねた。「して、邸《やしき》の様子は存分に見てこられたか」
「あらまし見てまいりました」
こう前置をして、小平太は指先で畳の上に図を描いてみせながら、はいって行った時から出てくるまでの顛末《てんまつ》を仔細に述べはじめた。勘平はそばから硯《すずり》に料紙を取って渡した。で、それによって、ふたたび見取り図を描いて説明しながら、
「まずこういったあんばいでございます」と、話しを結んだ。「私の見たところでは、思いのほかに薄手な屋敷で、長屋にも母屋にも、噂に聞いた竹矢来なぞいっこう見当りませんでした。間々《まま》女子供の声は聞えましたが、いったいにひっそりとして、格別の手配りがあろうとも思われず、風説はただ風説にすぎないかと存ぜられました」
「なるほど」と、忠左衛門は大きくうなずいた。「だいたいわれらが考えていたとおりであるな」
「さようでございます」と、小平太はさらに語《ことば》を継《つ》いだ。「で、戻路《もどり》にはせめてもと存じまして、長屋の位置を見がてら、その家紋を読んでまいりましたが、だいたい表通りに向った一棟《ひとむね》と、南側に添うた一棟と、総長屋は二棟に別れておりまして、戸前の数は三十あまり四十戸前もございましょうか。そのほかに家老小林の住宅《すまい》は、別に一軒建ちになっておりました」
「いや、よく気がつかれた」と、忠左衛門は相手の労を犒《ねぎら》うように言った。「これで邸内の防備に対するだいたいの見当もついた上に、当夜出会いそうな相手方の人数もほぼ分ったというものだ。太夫《たゆう》に申しあげたら、さぞ喜ばれるじゃろう。小平太どの、大儀でござったな」
「ついては、横川、お身ひとつその文箱を茶坊主の許《ところ》へとどけてくれんか」と、安兵衛はそばから口を出した。「これは貴公でないといかんからな」
「心得ました。さっそくとどけることにいたしましょう」
「そうだ」と、忠左衛
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