にも思ふが、其後一年半ばかりずつと顏を見ませんでした。從つて最近の消息は私には丸で分らなかつた。それが本年の正月廿九日の夕、私が宅で夕飯を認めて居る時、上野山君からおしづさんの訃を知らせる書状が屆きました。私は其足ですぐ白金の傳染病研究所へ行つて見ました。私は途中も上野山君が途方に暮れて、殆ど何事も手が附けてなからうとそればかり考へて居た。
傳染病研究所の病室の裏手で、だら/\と坂に成つてる林の中の小徑《こみち》を提灯をつけた小使に連れられて降りて行くと、解剖室の隣の死亡室におしづさんの遺骸が安置してありました。棺側には四人の若い人達が寂しく夜伽をして居ました。私が上野山君に挨拶して居ると、傍の一人から聲を懸けられた。それはおしづさんの仲の兄さんで、岡山から急遽上京したと云ふ事でした。あゝ仲の兄さんが來て居る、それなら大丈夫だと、私は始めて安心の息を吐いた。
私は棺側に進んで、おしづさんの亡骸《なきがら》に見《まみ》えた。おしづさんは病症の所爲《せゐ》とかで、宛然《まるで》石膏細工のやうな顏や手をして居ました。髮だけは生前私が記憶して居るまゝに、黒く長く枕邊に亂れて居た。生前苦勞し
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