強ひて辯解すれば、私自身も若かつたのでした。
 が、幸ひなことに、其愚は間《ま》もなく悟りました。私は温かな傍觀的態度で靜かにおしづさんの生長を見守ることが出來るやうに成りました。其間おしづさんは一日でも惜しまれるやうに、せつせと創作しては、私の許へ持つて來ました。處女作『松葉杖をつく女』にあゝ云ふ表題を附したのは私のジヤアナリズムでした。これは故人の名譽のために斷つて置きたい。つまり少しでも此作に世人の注意を向けたいと云ふ善意のジヤアナリズムでした。第二作『三十三の死』は明くる年の正月の新小説に載せられた。處女作も心ある人の注意を惹いたが、此作に到つておしづさんは女流作家としての立場を確實に握るやうに成りました。おしづさんは、始めて私の宅へ來出した時、恰度私が三十三であつたので、自分も、先生の歳まで生きられゝば、それで思ひ殘すところはないと云ひ/\して居ましたが、女の大厄である其年を待たないで、二十四で世を去りました。豫て期せられたることゝは云ひながら、又餘りに短かい人の命である。
 おしづさんの創作で光つて居るところは、それはいろ/\好い素質もありませうが、矢張あの病氣に關聯した、
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