に続いたのであるから、実に驚いた。大袈裟《おおげさ》にいえば、最後の審判の日が来たのかと思われる程であった。もちろん眠られる筈もない。わたしは頭から毛布を引っかぶって、小さくなって一夜をあかした。
「毎日大砲の音を聞き慣れている者が、雷なんぞを恐れるものか。」
こんなことを云って強がっていた連中も、仕舞いにはみんな降参したらしく、夜の明けるまで安眠した者は一人もなかった。夜が明けて、雨が晴れて、ほっ[#「ほっ」に傍点]とすると共にがっかりした。
その二は、明治四十一年の七月である。午後八時を過ぎる頃、わたしは雨を衝《つ》いて根岸《ねぎし》方面から麹町へ帰った。普通は池《いけ》の端《はた》から本郷台へ昇ってゆくのであるが、今夜の車夫は上野《うえの》の広小路《ひろこうじ》から電車線路をまっすぐに神田にむかって走った。御成《おなり》街道へさしかかる頃から、雷鳴と電光が強くなって来たので、臆病な私は用心して眼鏡《めがね》をはずした。
もう神田区へ踏み込んだと思う頃には、雷雨はいよいよ強くなった。まだ宵ながら往来も途絶えて、時どきに電車が通るだけである。眼の先もみえないように降りしきるので
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