と、かの柳は真っ黒に焦《こ》げて、大木の幹が半分ほども裂けていた。わたしは子供心に戦慄《せんりつ》した。その以来、わたしはかみなり様が嫌いになった。
それでも幸いに、ひどい雷嫌いにもならなかったが、さりとて平然と落着いているような勇士にはなれなかった。雷鳴を不愉快に感ずることは、昔も今も変りがない。その私が暴雷におびやかされた例が三回ある。
その一は、明治三十七年の九月八日か九日の夜とおぼえている。わたしは東京日日新聞の従軍記者として満洲の戦地にあって、遼陽《りょうよう》陥落の後、半月ほどは南門外の迎陽子という村落の民家に止宿していたが、そのあいだの事である。これは夕立というのではなく、午後二時頃からシトシトと降り出した雨が、暮るると共に烈《はげ》しく降りしきって、九時を過ぎる頃から大雷雨となった。
雷光は青く、白く、あるいは紅《あか》く、あるいは紫に、みだれて裂けて、乱れて飛んで、暗い村落をいろいろに照らしている。雨はごうごう[#「ごうごう」に傍点]と降っている。雷はすさまじく鳴りはためいて、地震のような大きい地ひびきがする。それが夜の白らむまで、八、九時間も小歇《こや》みなし
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