たのは、六歳の七月、日は記憶しないが、途方もなく暑い日であった。わたしの家は麹町の元園町にあったが、その頃の麹町辺は今日《こんにち》の旧郊外よりもさびしく、どこの家も庭が広くて、家の周囲にも空地《あきち》が多かった。
わたしの家と西隣りの家とのあいだにも、五、六間の空地があって、隣りの家には枸杞《くこ》の生垣《いけがき》が青々と結いまわしてあった。わたしはその枸杞の実を食べたこともあった。その生垣の外にひと株の大きい柳が立っている。それが自然の野生であるか、あるいは隣りの家の所有であるか、そんなこともよく判らなかったが、ともかくも相当の大木で、夏から秋にかけては油蝉やミンミンやカナカナや、あらん限りの蝉が来てそうぞうしく啼いた。柳の近所にはモチ竿や紙袋を持った子供のすがたが絶えなかった。前にいう七月のある日、なんでも午後の三時頃であったらしい。大夕立の真っ最中、その柳に落雷したのである。
雷雨を恐れて、わたしの家では雨戸をことごとく閉じていたので、落雷当時のありさまは知らない。唯《ただ》すさまじい雷鳴と共に、家内が俄かに明るくなったように感じただけであったが、雨が晴れてから出てみる
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