てん》の霹靂《へきれき》などは絶無である。その代りに揚がりぎわもよくない。雷も遠くなり、雨もやむかと見えながら、まだ思い切りの悪いようにビショビショと降っている。むかしの夕立の男性的なるに引きかえて、このごろの夕立は女性的である。雷雨一過の後も爽《さわや》かな涼気を感ずる場合が少なく、いつまでもジメジメして、蒸し暑く、陰鬱で、こんな夕立ならば降らないほうが優《ま》しだと思うことがしばしばある。
こう云うと、ひどく江戸っ子で威勢がいいようであるが、正直をいえば私はあまり雷を好まない。いわゆる雷嫌いという程でもないが、聞かずに済むならば聞きたくない方で、電光がピカリピカリ、雷鳴がゴロゴロなどは、どうも愉快に感じられない。しかも夕立には雷電を伴うのが普通であるから、自然に夕立をも好まないようになる。殊に近年の夕立のように、雨後の気分がよくないならば、降ってくれない方が仕合せである。雷ばかりでなく、わたしは風も嫌いである。夏の雷、冬の風、いずれも私の平和を破ること少なくない。
むかしの子供は雷を呼んでゴロゴロ様とか、かみなり様とか云っていたが、わたしが初めてかみなり様とお近付き(?)になっ
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