眺めていた昔の子供たちの愉快と幸福とを想像することは出来まい。
花火は夏のものであると私は云った。しかし、秋の宵の花火もまた一種の風趣がないでもない。鉢の朝顔の蔓がだんだんに伸びて、あさ夕はもう涼風が単衣《ひとえもの》の襟にしみる頃、まだ今年の夏を忘れ得ない子供たちが夜露のおりた町に出て、未練らしく花火をあげているのもある。勿論、その火の数は夏の頃ほどに多くない。秋の蛍――そうした寂しさを思わせるような火の光がところどころに揚がっていると、暗い空から弱い稲妻がときどきに落ちて来て、その光を奪いながら共に消えてゆく。子供心にも云い知れない淡い哀愁を誘い出されるのは、こういう秋の宵であった。[#地付き](大正14・5「週刊朝日」)
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雷雨
夏季に入っていつも感じるのは、夕立《ゆうだち》と雷鳴の少なくなったことである。私たちの少年時代から青年時代にかけては、夕立と雷鳴がずいぶん多く、いわゆる雷嫌いをおびやかしたものであるが、明治末期から次第に減じた。時平公《しへいこう》の子孫万歳である。
地方は知らず、都会は周囲が開けて来る関係上、気圧や気流にも変化を生じたとみえ
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