して、夜はきっと花火をあげに出る。いわゆる悪戯《いたずら》っ子《こ》として育てられた自分たちの少年時代を追懐して、わたしは決してそれを悔《くや》もうとは思わない。
 その時代にくらべると、今は世の中がまったく変ってしまった。大通りには電車が通る。横町にも自動車や自転車が駆け込んでくる。警察官は道路の取締りにいそがしい。春の紙鳶も、夏の花火も、秋の独楽《こま》も、だんだんに子供の手から奪われてしまった。今でも場末のさびしい薄暗い町を通ると、ときどきに昔なつかしい子供の花火をみることもある。神経の尖《とが》った現代の子供たちはおそらくこの花火に対して、その昔の私たちほどの興味を持っていないであろうと思われる。「花火間もなき光かな」などと云って、むかしから花火は果敢《はか》ないものに謳《うた》われているが、その果敢ないものの果敢ない運命もやがては全くほろび尽くして、花火といえば両国《りょうごく》式の大仕掛けの物ばかりであると思われるような時代が来るであろう。どんなに精巧な螺旋《ぜんまい》仕掛けのおもちゃが出来ても、あの粗末な細い竹筒が割れて、あかい火の光がぽん[#「ぽん」に傍点]とあがるのを
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