であろう。
芸妓
有名なおてつ牡丹餅の店が私の町内の角に存していたころ、その頃の元園町には料理屋も待合も貸席もあった。元園町と接近した麹町四丁目には芸妓屋《げいしゃや》もあった。わたしが名を覚えているのは、玉吉、小浪などという芸妓で、小浪は死んだ。玉吉は吉原《よしわら》に巣を替えたとか聞いた。むかしの元園町は、今のような野暮《やぼ》な町では無かったらしい。
また、その頃のことで私がよく記憶しているのは、道路のおびただしく悪いことで、これは確かに今の方がよい。下町《したまち》は知らず、われわれの住む山の手では、商家でも店でこそランプを用《もち》いたれ、奥の住居《すまい》ではたいてい行燈《あんどう》をとぼしていた。家によっては、店先にも旧式のカンテラを用いていたのもある。往来に瓦斯《ガス》燈もない、電燈もない、軒ランプなども無論なかった。したがって、夜の暗いことはほとんど今の人の想像の及ばないくらいで、湯に行くにも提灯《ちょうちん》を持ってゆく。寄席《よせ》に行くにも提灯を持ってゆく。おまけに路がわるい。雪どけの時などには、夜はうっかり歩けないくらいであった。しかし今日《
前へ
次へ
全408ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング