朱鞘《しゅざや》の大小の長いのをぶっ込んで、朴歯《ほおば》の高い下駄をがらつかせた若侍が、大手を振ってはいって来た。彼は鉄扇《てっせん》を持っていた。悠々と蒲団《ふとん》の上にすわって、角《つの》細工の骸骨《がいこつ》を根付《ねつけ》にした煙草《たばこ》入れを取り出した。彼は煙りを強く吹きながら、帳場に働くおてつの白い横顔を眺めた。そうして、低い声で頼山陽《らいさんよう》の詩を吟じた。
町の女房らしい二人連れが日傘を持ってはいって来た。かれらも煙草入れを取り出して、鉄漿《おはぐろ》を着けた口から白い煙りを軽く吹いた。山の手へ上《のぼ》って来るのはなかなかくたびれると云った。帰りには平河《ひらかわ》の天神さまへも参詣して行こうと云った。
おてつと大きく書かれた番茶茶碗は、これらの人々の前に置かれた。調練場の方ではどッと云う鬨《とき》の声が揚がった。焙烙《ほうろく》調練が始まったらしい。
わたしは巻煙草を喫《の》みながら、椅子《いす》に寄りかかって、今この茶碗を眺めている。かつてこの茶碗に唇《くちびる》を触れた武士も町人も美人も、皆それぞれの運命に従って、落着く所へ落着いてしまったの
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