が来る。郊外にも売りに来るが、朝顔売りなどはやはり市中のもので、ほとんど一坪の庭をも持たないような家つづきの狭い町々を背景として、かれらが売り物とする幾鉢かの白や紅やむらさきの花の色が初めてあざやかに浮き出して来るのである。郊外の朝顔売りは絵にならない。夏のあかつきの薄い靄《もや》がようやく剥《は》げて、一町内の家々が大戸《おおど》をあける。店を飾り付ける。水をまく。そうして、きょう一日の活動に取りかかろうとする時、かの朝顔売りや草花売りが早くも車いっぱいの花を運んで来る。花も葉もまだ朝の露が乾かない。それを見て一味《いちみ》の涼を感じないであろうか。
売りに来るものもあれば、無論、買う者もある。買われたひと鉢あるいはふた鉢は、店の主人または娘などに手入れをされて、それから幾日、長ければひと月ふた月のあいだも彼らの店先を飾って、朝夕の涼味を漂わしている。近ごろは店の前の街路樹を利用して、この周囲に小さい花壇を作って、そこに白粉《おしろい》や朝鮮朝顔や鳳仙花《ほうせんか》のたぐいを栽えているのもある。
釣荵《つりしのぶ》は風流に似て俗であるが、東京の夏の景物として詩趣と画趣と涼味とを
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