多分に併せ持っているのは、かの虎耳草《ゆきのした》であることを記憶しなければならない。村園にあれば勿論、たとい市中にあってもそれが人家の庭園に叢生《そうせい》する場合には、格別の値いあるものとして観賞されないらしいが、ひとたび鮑《あわび》の貝に養われて人家の軒にかけられた時、俄かに風趣を添うること幾層倍である。鮑の貝と虎耳草、富貴の家にはほとんど縁のないもので、いわゆる裏店《うらだな》に於いてのみそれを見るようであるが、その裏長屋の古い軒先に吊るされて、苔《こけ》の生えそうな古い鮑の貝から長い蔓は垂れ、白い花はこぼれかかっているのを仰ぎ視れば、誰でも涼しいという心持を誘い出されるに相違ない。周囲が穢《きた》なければ穢ないほど、花の涼しげなのがいよいよ眼立ってみえる。いつの頃に誰がかんがえ出したのか知らないが、おそらく遠い江戸の昔、うら長屋の奥にも無名の詩人が住んでいて、かかる風流を諸人に教え伝えたのであろう。
 虫の声、それを村園や郊外の庭に聴く時、たしかに幽寂《ゆうじゃく》の感をひくが、それが一つならず、二つならず、無数の秋虫一度にみだれ咽《むせ》んで、いわゆる「虫声満[#レ]地」と
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