、飲食店の姐《ねえ》さん達も春は小綺麗な着物に新しい襷《たすき》でも掛けている。それを眺めて、その当時の人々は春だと思っていたのである。
 その正月も過ぎ、二月も過ぎ、三月も過ぎ、大通りの柳は日ましに青くなって、世間は四月の春になっても、銀座の町の灯は依然として生暖かい靄の底に沈んでいるばかりで、夜はそぞろ歩きの人もない。ただ賑わうのは毎月三回、出世地蔵の縁日の宵だけであるが、それとても交通不便の時代、遠方から来る人もなく、往来のまん中で犬ころが遊んでいた。
 今日の銀座が突然ダーク・チェンジになって、四十余年前の銀座を現出したら、銀ブラ党は定めて驚くことであろう。[#地付き](昭和11・1「文藝春秋」)
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夏季雑題


     市中の夏

 市中に生まれて市中に暮らして来た私たちは、繁華熱鬧《はんかねつとう》のあいだにもおのずからなる涼味を見いだすことに多年馴らされている。したがって、盛夏の市中生活も遠い山村水郷は勿論、近い郊外に住んでいる人々が想像するほどに苦しいものではないのである。
 地方の都市は知らず、東京の市中では朝早くから朝顔《あさがお》売りや草花売り
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