三 三宅坂
次は怪談ではなく、一種の遭難談である。読者には余り面白くないかも知れない。
話はかなりに遠い昔、明治三十年五月一日、わたしが二十六歳の初夏の出来事である。その日の午前九時ごろ、わたしは人力車に乗って、半蔵門外の堀端を通った。去年の秋、京橋に住む知人の家に男の児が生まれて、この五月は初《はつ》の節句であると云うので、私は祝い物の人形をとどけに行くのであった。わたしは金太郎の人形と飾り馬との二箱を風呂敷につつんで抱えていた。
わたしの車の前を一台の車が走って行く。それには陸軍の軍医が乗っていた。今日《こんにち》の人はあまり気の付かないことであるが、人力車の多い時代には、客を乗せた車夫がとかくに自分の前をゆく車のあとに付いて走る習慣があった。前の車のあとに付いてゆけば、前方の危険を避ける心配が無いからである。しかもそれがために、却って危険を招く虞《おそ》れがある。わたしの車なども其の一例であった。
前は軍医、あとは私、二台の車が前後して走るうちに、三宅坂上の陸軍|衛戍《えいじゅ》病院の前に来かかった時、前の車夫は突然に梶棒《かじぼう》を右へ向けた。軍医は病院の門に
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