になった。
 まずほっ[#「ほっ」に傍点]として歩きながら、さらに考え直すと、女は何者か知れないが、暗い夜道のひとり歩きがさびしいので、おそらく私のあとに付いて来たのであろう。足の早いのが少し不思議だが、私にはぐれまいとして、若い女が一生懸命に急いで来たのであろう。さらに不思議なのは、彼女は雨の夜に足駄を穿かないで、素足に竹の皮の草履をはいていた事である。しかも着物の裾《すそ》をも引き揚げないで、湿《ぬ》れるがままにびちゃびちゃと歩いていた。誰かと喧嘩して、台所からでも飛び出して来たのかも知れない。
 もう一つの問題は、女の着物が暗い中ではっきりと見えたことであるが、これは私の眼のせいかも知れない。幻覚や錯覚と違って、本当の姿がそのままに見えたのであるから、私の頭が怪しいという理窟になる。わたしは女を怪しむよりも、自分を怪しまなければならない事になった。
 それを友達に話すと、若は精神病者になるなぞと嚇《おど》された。しかもそんな例はあとにも先にもただ一度で、爾来《じらい》四十余年、幸いに蘆原《あしわら》将軍の部下にも編入されずにいる。[#地付き](昭和11・8「モダン日本」)

  
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