葉かげに腰をかがめておてつが毎朝入口を掃《は》いているのを見た。汁粉《しるこ》と牡丹餅とを売っているのであるが、私の知っている頃には店もさびれて、汁粉も牡丹餅も余り旨《うま》くはなかったらしい。近所ではあったが、わたしは滅多《めった》に食いに行ったことはなかった。
おてつ牡丹餅の跡へは、万屋《よろずや》という酒屋が移って来て、家屋も全部新築して今日まで繁昌《はんじょう》している。おてつ親子は麻布《あざぶ》の方へ引っ越したとか聞いているが、その後の消息は絶えてしまった。
わたしの貰《もら》った茶碗はそのおてつの形見である。O君の阿父《おとっ》さんは近所に住んでいて、昔からおてつの家とは懇意《こんい》にしていた。維新の当時、おてつ牡丹餅は一時閉店するつもりで、その形見と云ったような心持で、店の土瓶《どびん》や茶碗などを知己《しるべ》の人々に分配した。O君の阿父《おとっ》さんも貰った。ところが、何かの都合からおてつは依然その営業をつづけていて、私の知っている頃までやはりおてつ牡丹餅の看板を懸けていたのである。
汁粉屋の茶碗と云うけれども、さすがに維新前に出来たものだけに、焼きも薬も悪く
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