ある。私はむかしから糸瓜をおもしろいものとして眺めていたが、自分の庭に栽えるようになったのは十年以来のことで、震災以後、大久保百人町に仮住居《かりずまい》をしている当時、庭のあき地を利用して、唐蜀黍《とうもろこし》の畑を作り、糸瓜の棚を作った。その棚はわたし自身が書生を相手にこしらえたもので、素人の作った棚が無事に保《も》つかといささか不安を感じていたところが、棚はその秋の強い風雨にも恙《つつが》なく、糸瓜の蔓も葉も思うさま伸びて拡がって、大きい実が十五、六もぶらりと下がったので、私たちは子供のように手をたたいて嬉しがった。
 その翌年の夏、銀座の天金の主人から、暑中見舞いとして式亭三馬《しきていさんば》自画讃の大色紙の複製を貰った。それは糸瓜でなく、夕顔の棚の下に農家の夫婦が涼んでいる図で、いわゆる夕顔棚の下涼みであろう。それに三馬自筆の狂歌が書き添えてある。
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なりひさご、なりにかまはず、すゞむべい
        風のふくべの木蔭たづねて
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 これを見て、わたしは再び糸瓜の棚が恋しくなったが、その頃はもう麹町の旧宅地へ戻っていたので、
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