、彼はブラツデーネスになったに相違ない。そうして明治三十二年の秋に、明治座で史劇「悪源太《あくげんた》」を上場することになった。俳優は初代の左団次《さだんじ》一座であった。続いて三十四年の秋に、同じく明治座で「源三位《げんざんみ》」を書いた。つづいて「後藤又兵衛《ごとうまたべえ》」や「敵国降伏」や「ヱルナニー」が出た。
「素人の書いたものでも商売になる。」
 こういう理屈がいくらか劇場内部の人たちにも理解されるようになって来た。わたしは松葉君よりも足かけ四年おくれて、明治三十五年の歌舞伎座一月興行に「金鯱噂高浪《こがねのしゃちうわさのたかなみ》」という四幕物を上場することになった。これに就《つ》いては岡鬼太郎《おかおにたろう》君が大いに力がある。その春興行には五世|菊五郎《きくごろう》が出勤する筈であったが、病気で急に欠勤することになって、一座は芝翫《しかん》(後の歌右衛門《うたえもん》)、梅幸《ばいこう》、八百蔵《やおぞう》(後の中車《ちゅうしゃ》)、松助《まつすけ》、家橘《かきつ》(後の羽左衛門《うざえもん》)、染五郎《そめごろう》(後の幸四郎《こうしろう》)というような顔触れで、
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